116: 名無し三等兵 ■ 「バャ・コン・ディオス (神とともに行け) 」杉原千畝の言葉 ■ 1939年(昭和十四年)九月一日、ヨーロッパではヒットラー率いるナチス・ドイツがポーラン ドへ侵攻し、第二次世界大戦の火ぶたが切られた。 同年十一月、リトアニアの首都カウナスの日本領事館に、領事代理としてソ連専門の外交官 であった杉原千畝が赴任して来ました。 次の年には、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害は周辺諸国では周知の事実であったが、アメリカ は移民法に拘束されビザ発給には極めて消極的だった。また、イギリス・ソ連も含めヨーロッパ 諸国がユダヤ人に冷たかったのである。 日本政府としては昭和十三年十二月、五相会議が開かれた『猶太人対策要領』が決まっており、 ユダヤ人に対しても他の外国人同様、基本的には差別しないということが決まっていた。 これは「八紘一宇」の国是のもと、日本は一貫してユダヤ人に対して差別をしないことを明らか にしていた。 リトアニアがソ連に併合されて以来、日本領事館の外にはユダヤ人難民から陳情を山ほど受け ており、ここ何日も難民が押しかけてきた。日本としては、領事館を八月末までに閉鎖することに なっているため杉原にできることは、時間的にも限られていることを知っていた。 しかし、外務省からの訓令では無条件ビザ発行には「ノー」であり上層部の指示にそむいて行動 するわけにいかなっかた。彼は、ビザ発給について悩み苦しんだ。 たくさんの人間の生死がかかっていた。 続きを読む