<<前略:猫鎧は動物虐待?~侍の歴史>> 2004年に公開された映画『ラストサムライ』や日本の漫画などではサムライが国家や主君のために喜んで命を捧げる正義の使徒として描写されている。 名誉を重視する上に切腹も躊躇しない志高い武士として美化されたりもする。実際のサムライの姿はそうではなかった。 強い敵に出会えば命を懸けて最後まで戦うのではなく早めに投降したり、主君を裏切ったりする事例が多かった。 ガチ対決を好んだ宮本武蔵(1584~1645年)が日本最高のサムライと崇められているのは、それだけガチる武士がいなかったという反証だ。 大半のサムライは相手が油断した時に不意打ちで殺すことを好んだ。手段と方法を選ばずに勝つことが重要だったからだ。 正座してから飛虎のように刀を抜いて突いたり斬る動作を随時学んで、孫子の兵法を勉強することも先制攻撃能力を伸ばすためだ。 孫子の兵法の中で敵を知って自身を知れば百回戦っても危なげないという『知彼知己 百戰不殆』の句を行動の綱領にした。 相手を徹底的に把握して、勝算があると判断すれば先制攻撃を躊躇うことなく敢行したのだ。 明成皇后殺害、清日戦争、露日戦争、中日戦争、真珠湾空襲、太平洋戦争などは一様に卑怯な奇襲攻撃だった。 力の弱い所を選んで集中的に叩くこともサムライの特徴だ。 弱者を群衆で苦しめる集団仲間外れ(イジメ)が日本社会に蔓延していることも卑劣なサムライの伝統と無関係ではない。 サムライ精神で武装した日本軍が国家と民族のために喜んで命を捧げるという宣伝は虚構だった。 詳細はソースにて http://www.yonhapnews.co.kr/digital/2017/06/21/4907000000AKR20170621122400797.HTML 続きを読む