お笑い芸人の志村けんが、5日放送のTBS系「中居正広のキンスマスペシャル」(金曜・後10時)にゲスト出演する。 50年間という長きにわたり日本のお笑い界のトップを走り続けている志村だが、表舞台で自分のことをほとんど語ることがないどころか、素で出るのが苦手でじっくり話す番組には出ないという。 番組では、そんな志村の生い立ちから現在に至るまでの軌跡を辿る。 1950年、東村山市に3人兄弟の末っ子として誕生。 祖父母や父親の兄弟も共に暮らす大家族で特に甘やかされることもなく育った彼が、最も恐れていたという父の存在。 柔道五段で、小学校で教頭をしていた父は、冗談が通じない性格で、恐ろしいだけでなく、礼儀やしつけにも厳しかった。 小学校3年生の運動会、徒競走を前に緊張した志村を襲った便意。スタート直前で漏らしてしまった。 この時は情けなさに泣くことしかできなかった。その結果、クラス中から「うんこ垂らし」と呼ばれるように。 「おもらしのイメージを払拭したい」と思っていた時、たまたま耳にしたレコードが酔っ払いが登場する落語だった。 志村はクラスのひょうきんものを演じることにした。友達を誘い初披露したコントは酔っ払いネタ。コント以外にもいろいろとやったという。 そして、続けているうちに「人を笑わせるって気持ちいい!」という感情が生まれ、これが志村の「お笑い魂」の目覚めだった。 そして、コメディアンを目指すことになるもう1つのきっかけが、テレビとの出会い。 志村がテレビで流れる「雲の上団五郎一座」を夢中になって見ていたら、一緒に見ていた父が笑ったのだ。 厳格で声を出して笑うことなどない父の笑い声を聞いたことで、コメディアンになりたいという思いが志村の中で大きくなっていった。 志村が中学に上がった頃、父は校長を目指し勉強ばかりしていた。そんな父を見て「つまんない人生だな」と、ますますテレビの世界に憧れを抱く。 そんなある日、父を悲劇が襲う。交通事故に遭い、その時はすぐに退院できたが、その3年後、事故の後遺症で記憶障害になってしまったのだ。 志村のことがわからなくなり、母には暴力を振るうように。 志村がお笑いの世界に飛び込み「ザ・ドリフターズ」に加入することになったのは、高校の時夢中になったビートルズが関係していた。 志村は当時、ビートルズに憧れていて、彼らを真似し、高校生としては珍しいマッシュルームヘアをしていた。 高校2年生の時、ビートルズがコンサートで初来日。 抽選に外れた志村は、チケットを持っていたクラスの女の子を説得して、なんとかチケットを手に入れた。 その来日公演で前座を務めたのがドリフターズだったが、志村が観に行ったのは、ドリフが前座を務めた次の日の公演。当時、ドリフへの想いはなかったと言う。 2人の兄は大学に進学。志村は兄たちと別の道に進みたいとコメディアンになることを決意するが、お笑いの養成所はなく、 デビューするには師匠に「弟子入り」か「付き人」からしかなかった。 志村にとって問題は、誰に弟子入りするかだったが、なぜドリフを選んだのか。 リーダーであるいかりや長介に弟子入り志願をするため、いかりやの自宅を突き止め、雪の中2時間も待ち続けたという。 ようやく会えたいかりやから、「やめそうな奴がいるから、そいつがやめたら連絡する」と言われ、ただ待つ日々が続く。 やがて高校卒業まで2カ月。このまま連絡が来なかったら無職になってしまうという状況の中、その1週間後にいかりやから突然連絡が 翌日から付き人になった志村だったが、気がかりなのは記憶と意識が曖昧になった父のこと。そんな志村の背中を押したのは母の言葉だった。 http://news.livedoor.com/article/detail/16269467/ スポーツ報知 続きを読む