男女という性によって勝手に役割が押し付けられてしまう現状、雇用状況などの問題も相まって複雑な様相を見せています。 オススメ記事 「主体的な家事」を、頑なに拒む夫たち 子供がある程度大きくなっても、そういう夫は変わらない。上の子のPTAの仕事が朝入ってしまい、下の子の保育園への送りを夫に頼んだC子さん(40歳・自営業)。 すると「ごめん、会社に行くのがギリギリになっちゃうから無理だよ」と言われたそう。「ギリギリ間に合うんだよね?」と重ねて聞くも、「PTAの用事で俺が犠牲になるのはちょっと……」と断られたという。 どうやら、これだけ共働き家庭が増えているにもかかわらず「育児と家事は妻がするもの」という思い込みが夫側にある家が多いようだ。 まだまだ産休育休でキャリアが不安定な妻より、夫のキャリアが優先されてしかるべき、ゆえに家事育児は妻がやるべき、という空気が蔓延しているからだろうか? もしくは専業主婦モデル世代の自分の母親たちが家事も育児も一人でやっていたから? ともかく、社会の実態とは懸け離れた思い込みにより、育児と家事について過度な負担を妻側が負わされることになり、上のエピソードのようにバカみたいな話が巷に溢れることになる。 「いやいやいや」と思っても、家庭内のような閉鎖空間でパートナーから強い態度に出られてしまうと、妻側は我慢せざるを得ない。もし抗議したら喧嘩になるからだ。喧嘩上等で家庭内の待遇の改善を申し立てると、どうなるか。 photo by iStock もし妻側が強ければフラリーマンの誕生だ。フラリーマンとは「息抜きしたいから」「家に帰っても居場所がないから」という理由で、仕事後にまっすぐ家に帰らず、寄り道して時間を潰す男性のこと。「妻がイライラしていて帰りにくい、家事を手伝っても文句ばかり言われる」などと言って、家に帰れないと訴える。 また夫側が強ければ、モラハラやDVに発展しかねない。 そして誰かに相談すれば「男なんてそんなもんよ」と言われてしまい、結果、妻は諦めて育児も家事も一人でするしかなくなるのだ。 でも、それは「諦め」だ。一生添い遂げようと思った愛する人から、理不尽な仕打を受けるのは辛いだろう。辛い状況にいるのに、夫から理解も手助けも得られなければ、自分は大事にされていない、愛されていないと感じてしまうこともあるだろう。そうなれば、二人の信頼関係は破綻する。 via: シングルマザーが考察する「ワンオペ」と「日本の夫婦」の深い闇(松本 愛) | 現代ビジネス | 講談社(3/4) シングルマザーの方が家事は楽? なんということでしょう、にわかには信じられないような事実ですが、もはや共働きよりもなんならシングルマザーのほうが家事が楽だというのです。そしてこれは事実なのでしょう。旦那がいて、かつほとんど家事をしないのであれば、それはつまるところ余計に仕事を増やす人が増えるということにほかなりません。 例えば調理一つとっても量が増えることになります。洗濯物一つとっても洗い、干し、そしてたたむ服の量は多くなります。もしもアイロンがけなんかまでするとするなら、子ども一人よりもなんなら面倒な人が増えるわけです。こんなのは小さな部分で、例えば意思決定を二人で行わなくてはならない場合そのコミュニケーションコストだってあるでしょうし、意見の衝突があればそれも面倒なもの。 そう考えてみれば、案外どうせ大して家事をしない旦那であれば、いないほうが家事全体のコストが下がるというのもなるほどうなずけるものです。それにしても1日の家事が30分に満たない旦那と、4時間近い妻って凄いな。共働きなのだとしたら明らかに片方に大きなコストが寄りかかってしまっています。しかも理由は単に女性だからなのだとしたら、それもひどい理由です。 二人で生きていくということ それにしても、なんていうか、例えば男性の方が明らかに収入が多ければ、あるいは妻が専業主婦であれば、お互いが協力することは無くてよいのでしょうか。お金を十分に家に入れていれば、それでもう家事から開放されるというシンプルな理屈が成り立つのでしょうか。この記事の筆者が投げかける通り、私もそれに疑問をいだきます。なぜならば、夫婦というのは業務委託契約関係とは全く違うからです。 すなわち、二人はチームであって共同体の中心的メンバーなのです。完全な役割分担をすることで全てがまかなえるのならば、そもそもその関係は人間性を失っています。一緒に暮らしていて、そこで生じる様々なタスクを、ある程度は分業しながらも相互に協力したりわかりあったり共感したりすることは一緒に生きていく上でとても重要なことです。それは当たり前のことではないでしょうか。 会社のプロジェクトチームのことを想像してみましょう。自分が営業だとしたら、開発の人のやっている作業に無関心でいてよいのでしょうか。手を出せる部分は少ないとしても、わかろうとする姿勢自体がチーム全体のモチベーションや価値を高めることは容易に想像できることであり、それは夫婦関係や家族関係であっても同様でしょう。