映画業界でセクハラやジェンダーに関する活動が活発化、女性限定のドレスコードに裸足で抗議

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metooの追い風もあって、世界中で女性の権利侵害に対する活動が活発化している。ヒールの高い靴を履かなくてはならない、などという理屈はもう通らない。

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カンヌ国際映画祭のハイヒール論争は近年、ますます鋭いものになってきた。



今年の第71回カンヌ国際映画祭の審査員を務める女優クリステン・スチュワート氏は、レッドカーペットをはだしで歩くことで、フラットシューズ禁止令にあえて逆らってみせたようだ。
「トワイライト」シリーズや「パーソナル・ショッパー」などの映画で知られるスチュワート氏は、14日夜に開かれたスパイク・リー監督の「BlacKkKlansman」のプレミア上映に参加した。



当初はルブタンの黒いハイヒールを履いていたが、会場に入る直前にハイヒールを脱ぎ、はだしでレッドカーペットの階段を上った。
靴を脱いだスチュワート氏への罰は、特になかったようだ。
「ハイヒールは無理強いできない」
ドレスにスニーカーを合わせてレッドカーペットに登場したことがあるスチュワート氏は昨年、カンヌ映画祭のドレスコードについて業界紙ハリウッドレポーターの取材を受けている。
「とても明確なドレスコードがあるのは確か。ハイヒールでも何でも、履いていなければとても怒る人たちがいる」
「そういうことは、もう人に強制できないと私は思う。当たり前のことで。男性にハイヒールとドレスを無理強いしないなら、私にもできない」
 

Image copyright EPA
2015年には、フラットシューズを履いた女性が、カンヌでレッドカーペットへの参加を断られたと報じられた。
フラットシューズ禁止には、スターがこぞって反発した。英女優エミリー・ブラント氏は、禁止令報道には「とてもがっかりした」と発言している。
当時の取材でブラント氏は、「本当ならみんながフラットシューズを履くべき。ハイヒールなんて、誰も履くべきじゃないというのが私の意見」
 

Image copyright Getty Images
 
Image caption 2016年のカンヌ国際映画祭ではだしでレッドカーペットを歩くジュリア・ロバーツ氏
この騒ぎ以降、はだしでカンヌ国際映画祭のレッドカーペットを歩いたのはスチュワート氏が初めてではない。2016年には「マネーモンスター」のプレミア上映に参加したジュリア・ロバーツ氏が同じことをしている。
スチュワート氏がプレミア上映に参加した「BlacKkKlansman」は、白人至上主義の秘密結社クー・クラックス・クランに忍び込む黒人米国人を描いた作品で、ジョン・デイビッド・ワシントン氏やアダム・ドライバー氏が主演している。14日のプレミア上映後にはスタンディングオベーションが起きた。
 
via: 女優クリステン・スチュワート氏、カンヌではだしに ドレスコードに抗議か – BBCニュース
 
縛る方向性からの脱却
なぜ女性だけが着るものを決定されてしまうのか。男性にドレスコードが無い(とはいえ多くの人はスーツを着ている)のだとすると、ドレスとハイヒールを着るように要求されることは不当ですらあるでしょう。それが女性性を担保するものとして求められているのだとしたら、女性個人の好みや意思を無視したものになる。これまではそれでよかったのかもしれませんが、これからはそうもいかなくなってくる。
 
何事も、縛る方が簡単で自由に個別の多様性を許しながら全体としてうまくやっていくことの方が難しい。しかしながら、難しいけれどもより価値のあるものを生み出せるのも後者。個人の自由と多様性こそが、豊かで価値ある成果を挙げるということは様々な論文からも明らかになってきています(ただし問題の種類によっては多様性が邪魔になるケースもある。多くの場合、創造性という観点で多様性が重要で、正確性という意味では優秀な個人の方が良いと言われている)。
 
これは映画業界だけの話に限ったことではなく、あらゆる場面においていま多様性が訴えられています。その理由はとりもなおさず個人の人権を認めるところがベースになっているわけです。私達はみんな生まれた瞬間から一人の個人として生きている、という感覚が多様性と自由を求める動きにつながるのです。一昔前ならば、私達は結婚相手すら家族の許可なくては選ぶことができなかったのですから。
 
でなければいいじゃん、は間違った理解
今回の抗議について『ドレスコードが気に入らないならそもそも出席しなければ良い』と考える人もいるようですが、なんかこうまったくわかってないですよね本質を。彼女がやった行為というのは、この式が内在している差別構造へのリアクションなのですから、この中でやるからこそ意味があるのです。この存在を知りながら、自分は良いわと距離を取ってしまえば、ここに内在する問題は可視化すらされないのです。
 
彼女はその可視化のために参加したのですから、彼女は『そんなにも気に入らなかったからこそ、参加した』のです。論点が全くずれていますし、解釈としても全く妥当ではありません。これは「そんなに日本が嫌いなら出て行けばいい」にも通じますね。だってその場所を変えたくて言ってるんだから、嫌いな部分は日本で言わなきゃいけないんです。わかります? これって会社組織もそうですよね。「会社の文句を言うならやめろ」は思考停止なんですよ。まあ、わかんない人には言っている意味が伝わらないと思いますが。
 
なんにせよ、そのような意味において今回のアクションというのは非常に明瞭なメッセージを持っており良かったです。女性が声を挙げても良い雰囲気が今後も加速していくことを祈ります。

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