なんというか、もうよくわからなくなってきたのですが、そうなったらもうミス・アメリカという概念自体が要らないのではないかと思うのですが…。 オススメ記事 【6月6日 AFP】米国のミスコンテスト「ミス・アメリカ(Miss America)」の主催団体は5日、水着とイブニングガウンでの審査を廃止し、今後は出場者を容姿で審査しない方針を示した。 ミス・アメリカ機構(Miss America Organization)の理事長を務め、自身も元ミス・アメリカであるグレッチェン・カールソン(Gretchen Carlson)氏はABCテレビの番組「グッド・モーニング・アメリカ(Good Morning America)」で、今年9月に開かれる2019年大会での変更点について説明。 カールソン氏は「私たちはもはや美人コンテストではなく、(単なる)コンテストだ」とし、「出場者を今後、外見で判断しない」と述べ、全米50州からの出場者が審査されるのは「社会に影響をもたらす取り組みについて語る内容」だと語った。 カールソン氏は1989年大会で優勝した後、FOXニュース(Fox News)でキャスターを務めた。セクハラ告発運動「#MeToo(私も)」の推進者で、2年前にはFOXニュースの最高経営責任者(CEO)だったロジャー・エイルズ(Roger Ailes)氏からセクハラを受けたとして裁判を起こした。ミス・アメリカ機構のCEOが性差別的で軽蔑的な発言を理由に辞任したことを受け、今年1月、元ミス・アメリカとして初めて同機構理事長に指名されていた。(c)AFP via: ミス・アメリカ、水着審査を廃止 「今後は外見で判断せず」 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News ミス・アメリカってなんなんだろう ミス・アメリカという言葉が世界にとっては外見的に美しく、教養を備え、社会問題についても一家言ある。そんな存在がミス・アメリカだったと思います。しかし、今後外見を見ないのであれば、なんかもうそれはミス・アメリカではないような気がします。一体どういう理屈でミス・アメリカを継続するのかいまいちわかりません。 外見について評価しないということが、悪いことだとは思いません。それ自体は、むしろ共感的ですらあります。外見の美を殊更協調するとき、そうでない人間、醜い人間に対して厳しい目線が投げかけられる価値観を許容する側面があるでしょうし、そのような価値観は好きではないからです。 とはいえ、このミス・アメリカのような明らかに美を大事にしてきたような企画が、その一番大事なところである外見的美の部分を捨て去ってしまうのならば、それはまるで一番太い柱を失った小屋のようなもので、簡単に崩れ去ってしまうのではないでしょうか。フェミズム的な価値観も、ここまで言ってしまうとなんだか却ってやりすぎているように感じるのは私だけではないでしょう。 フェミニズムのこれから なんだか最近はずいぶんフェミニズムも悪者になってきたように思います。それもそのはず、いまフェミニズムというのは大きな転換期に来ているからです。もともとフェミニズムは市民権などを与えられていなかった女性が、当然の権利としてそれを手に入れようとした運動でした。それ自体は成功し、大変な思いをされながらもその権利を獲得しました。 しかし今はそのような社会制度的な人権侵害はかなり減ったと言って良いでしょう。しかし、フェミニストの一部のラディカル・フェミニズムと言われるような人たちは、全ての男性が攻撃的であって、男性というだけで女性よりも遥かに優遇されており、許されない罪を背負っていると考える人達はいるのです。しかも、穏健派と伍す程の勢力として存在しています。 今回のミス・アメリカの話についても、このラディカル・フェミニズムが関係しているのだろうなと推測します。ミス・アメリカに出るような女性は自分が外見の美によってジャッジされることを十分理解しているしそれを楽しんでいたり誇りに思っていたりもするはずです。そういうのを無視して安易に批判してよいのか。私には疑問です。