これはいくらなんでもひどすぎるなあ、という感じ。必ずしも社会課題に対して適切なアプローチが出来ない、根性論者がいるのはどの国も同じですね。 オススメ記事 「ミニチュアバット」を全教員に支給、銃への対抗策 米 2018.04.14 Sat posted at 17:05 JST CNN NEWS 教師に支給されるミニチュアバットを手に取るミルクリーク・タウンシップ教育行政区当局の責任者 (CNN) 米ペンシルベニア州エリー市郊外の教育行政区当局は14日まで、米国の学校で多発する銃乱射事件を受け、管内の全教師500人へのミニチュアの「野球バット」配給などを盛り込んだ新たな安全対策をまとめた。 ミルクリーク・タウンシップ教育行政区当局の責任者は、バットは銃撃犯に立ち向かう道具と指摘。普段は教室内の施錠された場所に保管され、学校封鎖など不測の事態が発生した際のみに使用出来るようにすると述べた。 このバットの長さは16インチ(約41センチ)で、野球場の売店で入手出来るような商品。バット支給にかかる経費は約1800ドル(約19万2600円)としている。 ただ、この対策案はソーシャルメディア上で嘲笑されており、同行政区のフェイスブックには「全米の物笑いの種」「ミニチュアバットで銃弾を犯人に打ち返すのか?」などの書き込みがあった。 同行政区当局は今月2日、新たな学校の安全対策を発表し、銃撃事件発生に備えた職員訓練も打ち出した。米フロリダ州パークランドの高校で今年2月起き17人が殺害された事件が契機で、全米の各学校行政区も同様の対策作りを進め教師の銃所持などの案が浮上している。 ミルクリーク・タウンシップ教育行政区当局の責任者は「バット武装」に対する賛否がメディアで報じられていることを受け、教師が戦わなければならない事態を象徴させた対策と主張。主要な抑止力とは受け止めていないことも指摘した。 地元の教師組合の責任者もテレビ局の取材にバット武装案を支持。事件が起き、手にするものが何もない時の道具とし、新たな安全対策の主眼の1つは「応戦する」気構えを打ち出していると述べた。 馬鹿すぎる対策 なんというか、ちょっと本気で考えているのか疑いたくなるような対策ですね。こんなことする人がこの世界に存在しているとは到底思えないのですが、それなりに偉い立場で存在しているようです。凄い、これが本物の無能なのだなと言わざるを得ません。SNSで馬鹿にされるのも当たり前ですね。銃に対してバットで対抗出来るなら、そもそもアメリカ憲法の自衛のための権利を銃にまで拡大せずにバットで十分でしょう。バット同士で殴り合うならまだわからなくはないですよ。意味不明ですけどね。 しかしこういう根性論みたいなものがアメリカにもあるんだなと思うとホッコリするものがありますね。ある課題に対して適切な対応が取れず、後手に回ったり、あるいは無駄なことに予算を使ってしまうというのは日本に特有のものでは全く無いということがよくわかります。アメリカはinnovativeだとか言う人はこういう事例もちゃんと目を通す必要があると思います。 大体どんな国家や文化を肯定するときも、肯定可能な部分だけを見ていればいくらでも肯定出来るわけですが、こういう酷い事例もちゃんと知っておかないと安易なアメリカ礼賛になってしまうから注意が必要ですね。進んでいる国家として取り上げられることが多く、人権問題についても、又テクノロジーにおいても世界最先端を行くように見えるアメリカにもこんな側面があるというのは記憶に残しておくべきでしょう。 銃乱射問題はなくならない しかしそういう冗談は抜きにしても、アメリカの銃乱射事件はまだまだ収まる様子が全く見えません。大体、銃が買える社会において銃乱射事件を無くすことなんかどう考えても不可能なんですけどね。何をどうやっても日本で銃乱射事件が起りようもない理由は、銃の取扱が非常に厳格だからですし、それ以上の理由はないでしょう。日本人だって銃をその辺のお店で買うことができたら乱射事件起こしていると思いますし、満員電車の山手線なんか月に10回くらいは乱射事件が発生するでしょうし、多分ブラック企業のパワハラ上司が殺害されるケースは今の1000倍くらいになるのではないでしょうか。 これにはもちろんアメリカ人も気づいていて銃規制のために様々なレイヤーで様々な年代や属性の人がアクションしていますが、なんといっても全米ライフル協会が強いんですよね。政治献金も大量にしているので、なかなか銃規制には話が進まない。憲法にも自衛と武装の権利が明記されているのでアメリカ人が銃を手放す日はまだまだ遠くなりそうです。 最近上司を銃で撃った新人警官がいましたが、正直そういうレベルでの殺人は日本でも銃が解禁されたらいくらでも起きるだろうなあと思いますね。国民性の問題ではなく、あくまで利用可能な武器のアクセス可能性であって、民族や文化に落とし込む必要がない議論であると思います。