もう全てはこれに尽きるんですよ。伝統とか言ってるけど、全然昔からの形保ってないじゃん。子どもの言い訳でもあるまいし、くだらんほんとに。 オススメ記事 伝統とは「黙れ」という言葉である 私が警察やレスキュー隊の端っこで命を探したその同じ日、土俵で命を救おうとした女性たちが「降りろ」と怒られていた。私には彼女たちの憤りが理解できる。 排除の理由はどうだっていい。排除そのものが差別なのだ、という発想が、選挙時には生まれても、相撲には生まれない。伝統だからじゃない。慣れっこになった差別は、もはやそれを差別とも意識できないでいる。土俵に上がれなかった女性の悔しさは、女性市長だらけの時代にならないと共有できない。土俵騒動は数人の女性たちが傷ついただけで収束するだろう。なにが伝統か。外国人力士を認めたくせに。マイク使ってるくせに。スローモーションで画像確認しているくせに。伝統とはつまり、「黙れ」という言葉だと知ろう。 via: 「土俵に上がりたいですか?」と女性に聞く愚。 (5ページ目):日経ビジネスオンライン 選択される伝統 この参照記事、元々はもっと長いのですが最後に言いたいことが全部詰まっていたのでそこだけ持ってきました。結局これなんですよ。伝統というときに、それって全然元々の姿とはかけ離れるわけです。その当時とは様々な環境が異なります。宗教の社会的立ち位置も違えば、人口だって違うし趣味嗜好も全く異なるし、何より使える道具やテクノロジーが全く別次元のものになっています。 そのように考えてみた時に、相撲のいう伝統というのはどのくらい残っているのでしょうか。そもそも、神事とされるものがこれだけ興行すなわちビジネスとして成立してしまっていて良いのでしょうか。スポンサーがいてご贔屓がいて、というのは本当に伝統ですか? 疑わしいと思うのは私だけではないはずです。 また、女性は土俵に上がっては行けないというのに限っては、そもそも伝統ですら無いですよね。明治昭和の頃にも普通の女相撲があったのだとしたら、その嫉妬する女神とやらはどこからやってきたのか教えてほしいんですが、誰もその答えを持っていないようなので笑ってしまいます。 更には彼女が最後に畳み掛けている数々の者たち! 神事であり国家と密接につながっているはずの相撲に外国人が参加することが許され、またハイスピードカメラが行司の代りに勝敗を決する。あのねえ、何が伝統なんですか。どこらへんが伝統なんですが。何が守られるべきで何が守られる必要のない伝統なんですか。馬鹿らしくて腹が立ってきますよ。 それに、最近子ども向けの行事でもこれまで女の子も参加okだったのが今年から土俵に乗っちゃいけないことに。毎年そうならまだしも、今年になって急に変更。しかも大会実施の3日前。何が伝統だよ、くだらない。女性が穢れだとかなんとか言っているようですが、じゃあ女相撲はどうなんですか、で黙るわけ。 なんていうか論理として全く通っていなくて、ただ『そういうことになっていたから、そういうことにしている』以外の何者でもないんですよ。それを認めるところから始めたらいいと思う、言い訳から始めるんじゃなくて。本当に馬鹿らしい話だと思うな、ここ最近の相撲と差別の話については。