なんでオーストラリアってあんなに反捕鯨なのか? 手前勝手な論理の争い

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どの国も手前勝手な論理で叩き合ってしまうものだということがよくわかる記事です。反捕鯨の論理は非常に弱い。

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(葦)反捕鯨をめぐる「正しさ」 永井靖二
2018年4月2日15時06分 朝日新聞





永井靖二編集委員



 日本人の目からはとかく極端に見えがちな豪州の反捕鯨運動には、どんな背景があるのか――。京都産業大学現代社会学部の助教、前川真裕子さん(文化人類学)は、2003年12月に豪州の大学を卒業し、その後も同国の人々の言説や考え方を調べている。
 豪州でも、1978年まで捕鯨が続いていた。それが今では環境団体が日本まで来て「イルカを守れ」と叫ぶ。その変容には三つの流れがあるという。
 一つは60年代に米国から広まった、クジラの仲間は高い知能を持つ特別な生き物だという考え方。二つ目は「手つかずの自然」に崇高さを感じることに価値を見いだす都市的「エコロジー」の潮流。三つ目は南極大陸の一部に領有権を主張してきた豪州の歴史認識だという。日本の捕鯨船団は彼らの言う「我々の海」で「残忍な」漁をし、反感を買っていた。
 その主張からは、白人移民が先住民から土地や資源を収奪した歴史は捨象されている。だが、その非を突く前に、相手が主張する「正しさ」の背景を知り、先方の目に映る自分たちの姿を知っておく必要もあると、前川さんは感じている。


 
賢い動物は食べちゃだめ、は真か
反捕鯨について、様々な論理があります。個人的には反捕鯨の理屈が十分通っているとは思えません。第一に、賢いか賢くないかで食べて良いかどうか判断するのは無理があります。人を賢いかそうでないかで殺すか殺さないかを議論するのは完全に気の狂った全体主義くらいでしかやらないのに、なぜに動物を判断するときにはその基準を使ってよいのか意味不明です。
 
敢えて線引をするとしたら「痛覚があるかないか」であれば、古典的功利主義の立場を取れるかもしれません。つまり、他者に加害を加えてはいけないという原則の「他者」に痛覚を条件にして動物も含めれば良いので。しかし当然その瞬間私達の肉食の文化はすべて終わりを告げることになりますし、反捕鯨団体も牛や鶏を食べているのでしょうし、どちらにせよ認めないでしょう。
 
結局はパワーゲーム
身も蓋もないことですが、残忍な行為であるかどうかとか「我々の」海だといった考え方は所詮は無茶があるわけです。時代によっても文化によっても残忍さというのは違うのですから。例えば犬と人間が共存するようになってから1万年以上の歴史があると言われていますが、中国人は犬を食べます。これは残忍にも思えるかもしれませんが、それはその文化においてはドミナント、つまり当然の文化としてみなされています。
 
そして当然とみなされている文化においては、それは残忍ではありません。残忍なら当然じゃありませんからね。それは日本だって同様でしょう。1つのことばかりさせて私生活を奪い長時間労働で自殺にまで追い込む現在の労働環境は完全に異常ですが、でも厳然として存在しています。私達はこのような労働環境を「残忍」とまで言わないですが、実際は過労死や自殺者などの数は膨大です。
 
では、一体どのようなことが最終的に残忍だとかそうでないとかの基準になるのか。それは人権憲章などに代表される、国連などで様々な国が決めたある種のガイドラインによって決定します。ではそのガイドラインは何によって決まるでしょうか? それはパワーです。数の力であったり、資金援助をするかしないかといった交渉によって決定します。
 
反捕鯨も同様です。様々な政治的経済的思想的圧力を持って、他の国々を巻き込んでどちらが正しいのかを正当化するのです。完全に正しい見解も論理もなく、しかし国際司法裁判所が存在して様々な活動にジャッジを下す制度を受け入れている以上、その土俵で戦うしかありません。日本はそういう外交的交渉能力がなさすぎて良いようにやられていますが。

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