ふざけた理屈がまかり通ってはならず、こんな人は罰を受けるべき。本能に従うことが罪になることは当然あるし、それに毅然とした態度を取れない教師も残念。被害者は逃げるしか無い。 オススメ記事 SNSのアイコンにしていた自分の顔写真を、勝手に加工されてネットに拡散されたという設定の、いじめ予防用DVD教材。「いちばん悪いのは誰ですか?」と尋ねた担任は、子どもたちの答えに絶句した。担任の前で見せる従順な顔とは裏腹に、そのクラスでは特定グループによる陰湿ないじめが横行していた――。 写真=iStock.com/hxdbzxy 「いじめる側は本能に従っているだけ」 学校でのいじめを減らす方策の1つとして、子供たちへの予防教育がある。適切な予防教育が行われれば、いじめの発生数を減少させたり、もし発生した場合でも早期に発見・対処し、環境を含めた改善を行える可能性が高まる。文部科学省の「いじめの防止等のための基本的な方針」でも、予防教育は「学校が実施すべき施策」の1つにあげられている。 一方で、その出発点で失敗するケースも後を絶たない。 ある小学校で、DVD教材を使ったいじめ予防教育を行ったときのことだ。DVDのストーリーの中で、会員制交流サイト(SNS)のアイコンを自分の顔写真にした少女が、クラスメイトに勝手にアイコラ(編集部注:顔写真と別人のヌード写真などを組み合わせた合成写真)を作られ、それを拡散されるいじめを受けたという話が出てきた。 ストーリーの核心にあたるこの部分で、クラスの担任教師は「誰の行為が一番悪いと思いますか?」と生徒たちに訊(き)いた。「アイコラを作ったクラスメイト」か、「それを面白がって拡散したクラスメイト」が悪いという意見が多数だろうと、担任は予想していた。 だがこのクラスでは、生徒たちの大半が「最初に自分の顔写真をSNSに掲載した子」が悪いと答えたのだ。「なぜ?」と問う担任に生徒たちが返したのは、「意図しない使われ方をするかもというところまで考えが及ばなかった、本人の責任」という理屈だった。 ここで質問を変えたり、世の中のアイコラ写真問題を取り上げたりすれば、話の流れを変えられたかもしれない。だがこの担任教師は、授業の進行に気を取られるあまり、事前の想定を超えた展開に気が動転し、そこからどう話を進めればいいのかわからなくなってしまった。 via: 「悪いのはいじめられた方」と言い放つ子 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online 加害行為は悪い 何を勘違いしているかわかりませんが、加害行為は明らかに悪いものです。なぜならばそれは相手を害しているからです。本能に基づくものであろうと理性的な思考の結果であろうと、それによって人を害した場合は罰される必要があります。害するという事自体が悪いことだからです。 本能によって生じた行為であることと、それが悪いことであるということは両立します。本能での行為だから仕方ない、は全く成り立たない議論です。検討されるべきは「その行為が悪い行為かどうか」であって、その動機(この場合だと本能)は加味される必要がありません。 この教師はなぜか返答することが出来なくて困ったそうですが、そんな馬鹿な話はありません。大体、本能に従って生きたいなら学校なんか来るなよと言いたい。学校というのは文化的な訓練を行うところ。文化とは遺伝要因ではなく教育によって躾けられるものであって、まさに本能との戦いです。 その、本能との戦いである場所、学校で本能に従って行為したのだから悪くないなどというのはバカバカしすぎて話にもならない。彼らは罰されないことで結果として自己を受容されてしまっている。社会を舐め腐る要因となるでしょう。 被害者は場所を移すしかない こんな馬鹿な加害者がたくさんいる状態で、更にそこを監督するべき教師もまったくもって無能なのであれば、残念ながら被害者が取れる行動というのは限られてきます。個人的にはさっさと転校することを勧めます。加害者が更生したり罰を受けるのが被害者にとってはベストですし社会にとっても有益ですが、個人の人生は社会よりも優先されて然るべきでしょう。 不登校よりは、もう転校した方が良いと思います。よく「逃げ」という言葉が使われますが、そんなことはどうでもよろしい。逃げだろうがなんだろうが、自分を加害しない環境の方が良いに決まっています。そして、そういう環境は必ずあります。むしろ怖いのは「どこに行っても一緒」だと思いこんでしまうこと。 自分をわざと傷つけて楽しんでいるような頭のおかしい連中がこの社会のほとんどである、だなんて悲しい現実認識を避けるためにも、環境を変えることは悪い選択肢ではないでしょう。役に立たない教師や、更生を望めない人間たちに期待してはなりません。