広告での収益を求めて過激化するyoutuber、その若者の勢いはここまで来たのかという感じで驚いています。ニーズはあるんだろうな、という。 オススメ記事 渋谷“フリーおっぱい”に若者は賛否両論「YouTuberの評価下がる」「視聴数上がるのでいい」 私立高校1年の女子生徒と男子高校生ら3人が1月、渋谷駅のハチ公前広場で「フリーおっぱい」と書かれたスケッチブックを掲げて、通行人に「おっぱい触り放題」と呼びかけるなどした疑いで書類送検された。3人は「動画サイトに載せて広告収入を稼ぎたかった」と容疑を認めている。高校生のこの行為について、原宿の若者の声を聞く「原宿ニュースそれな」には次のような意見が寄せられた。 「(YouTuberを)認めてほしくてみんなやってるのに、1人でもそういう人がいると評価が下がっちゃうので、それはちょっと悲しい」(20代・女性/YouTuber) 「高校生とかが(YouTuber)めっちゃ見る。変に真似してしまうからちょっとダメかな」(18歳・女性/高校生) 「別にいいと思う。自分からやってるから。人にやらされたら不快な気持ちになるけど、自らどうぞってやってるものだったらいいかなって思う」(17歳・女性/高校生) 「満たせていない男からしたら助かる事だと思う。動画的にも大事で、面白いし視聴数も上がるんでいいと思う」(18歳・男性/高校生) (AbemaTV/『原宿アベニューより』) via BLOGOS 渋谷“フリーおっぱい”に若者は賛否両論「YouTuberの評価下がる」「視聴数上がるのでいい」 性の捉え方 今回のニュースは非常に面白いものです。なんといっても現役の若者が今回のニュースをどのような風に受け取るのかというのが実に興味深いからです。今回のような行為は犯罪的なものであって、当然処罰がされるものでしょう。しかし、それはあくまで現行の法的な考え方、価値観に基づいた判断です。もしかしたら将来的にはこのような判断はなされなくなるかもしれません。 よくある議論ではありますが、そもそもこの高校生は「自ら選んで」このような行為をしているのであって、そこに合意があるのであれば、それが人を傷つけない限りにおいて基本的には自由にさせるべきだというのが自由概念の基本です。愚行権という言葉があるのですが、要するに人は馬鹿げたことをすることが許されているのです。 馬鹿げているからといってその人の行動を恣意的に取り締まることはパターナリスティックな、上から目線の介入にほかなりません。ヒトはみんな自分のしたいことをしたいようにする権利があるので、他者を傷つけない限りはそれを許すべきなのです。それでもなお今回のことが悪いとされたのは、社会の秩序において良くないからなのでしょう。凄く抽象的で、恣意的で、価値観が反映されるルールですね。 過熱する動画の広告収益 今回の動画もしかりですが、いま世界中で過激な動画を作ることが重要な収益源になっています。つまり、面白くて、あるいは過激で、とにかく色んな人がたくさん見る動画を作れば作るほど、その動画に広告を載せている人たちにとっては嬉しいので、その収益が流れてくるというわけです。 そのために出来るだけ過激な動画を、ということで最近やりすぎたアメリカ人がyoutubeのアカウントを凍結されたりしていましたね。日本の樹海で首吊り遺体を面白おかしく放送したことで、日本人の多くも嫌な気持ちを持ったのではないでしょうか。非常に失礼で傲慢な態度ですが、それでも過激でナンセンスなジョークが一部に受けて熱狂的な視聴回数を稼いでいました。 いま、そのような動画が問題になっている中で、そういう動画に広告を出す企業にも問題があるという論点が出てきています。悪いことをやっているところにCMを乗っけるとその企業の印象も悪くなるし、かつそれが悪いことをやっている人間の収益になっているのですから、そういう企業に責任があるという風に言われているのです。 すでにデジタルアド、デジタル広告の業界ではこのような声に対応したい企業のために、動画の種類などによって広告を出す出さないを選択出来るようなネットワークの構築を急いでいるようです。そうすれば嫌な動画には誰も広告を出さなくなり、動画主はその動画を作るメリットが無くなるというわけですね。良い方法だと思います。