よくあるおじさんからのアドバイスになんだか鬱陶しい感覚を覚えたことはありませんか? 彼らのぼやきは要するに後悔。使えるレッスンだと思って学んでしまいましょう。 オススメ記事 年長者から「若いうちに○○しておけ」と説教を受けた経験はないでしょうか。そのほとんどは「アドバイスの体裁をとったぼやき」にすぎませんが、精神科医の熊代亨氏は「ぼやきには中年の人生経験が溶け込んでおり、無視するのはもったいない。反面教師として、近い将来、そんなぼやきをしない中年になるための方法を考えてみるといい」と説きます――。 ※本稿は、熊代亨『「若者」をやめて、「大人」を始める「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)の第4章「上司や先輩を見つめるポイント」を再編集したものです。 中年も毎日を一生懸命生きている たぶん、誰もが一度は耳にしたことがあるかと思いますが、上司や先輩はしばしば「若いうちに勉強しておけ」「若いうちに遊んでおけ」などと口にします。 若者にとって、「若いうちに○○しておけ」という物言いは、お節介に聞こえるかもしれません。あなたがたはあなたがたで、若者として毎日を忙しく、一生懸命に生きているはずですから。その点を忖度することなく、ああしろこうしろと講釈を垂れる中年がうっとうしく思えることもあるでしょう。 熊代亨『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス) 中年の「若いうちに○○しておけ」という説教には、単にあなたがたの将来をおもんぱかって助言している部分ももちろんあります。しかしそれ以上に彼らの語り口には、彼らが「若者」だった頃にインストールした手札や積み重ねた経験をもとに生きていくほかなく、若い頃にやっておかなかったものの不足をどうにもできないまま生きていることへの嘆きが含まれています。 若者が一生懸命に生きているのとはまた違ったかたちで、中年もまた、毎日を一生懸命に生きています。若者は、アイデンティティの確立も含めて、自分自身の成長や未来のために生き抜いていかなければなりませんが、中年は、これまでに自分が作りあげてきたもの、やってきたことの結果としての現在を生きていかなければなりません。 via: 「勉強しろよオジサン」の生産的な使い方 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online 哀愁と反省 中年男性と聞くと、それだけでなんとなく元気がないイメージや、説教ばかりしてくるイメージになってしまうのは非常に悲しいことに思います。人生を楽しく生きている人たちはたくさんいるので、そういうラベリングを持ちたくないんですよね。と言いつつも、やっぱりなんとなく説教臭い印象も多い彼ら。彼らは一体なぜ説教をしてくるのでしょうか。 先に悲しいパターンを共有してくると、それはとにかく気持ち良いから。人に何か文句をつけ、しかもそいつが自分に対して反論してこないというのは多くの人間にとって非常に気持ちのよいことです。自分が重要な人物になったような気がしますからね。しかし大変迷惑です。腹が立ってさえきますし、私はそれをされたくないししたくもないなと強く思います。 しかし、もう一つのパターンがあり、それは本当に悲しくも重要なことですが、彼らの説教は要するに昔の自分に対する叱咤でもあるのです。自分が「こうなってしまった」のは当然ながら過去の積み重ねにあります。いまというのは、これまでのいまの積み重ねですから、いきなり違う場所に行くことはできないのです。 朝起きたらハワイにいるということは出来ません。お金を溜めてチケットを買って空港に行って飛行機に乗らないといけないわけです。格好いい大人になるためには、格好いい大人になるためのステップをきちんと踏んでいかないといけない。そしてそれを踏んでこれなかったという後悔と反省があるのです。 説教は本人にしてる ですから、何か言われた時には精一杯それを彼は自分の若い頃に対して言っているのだなと考えてみましょう。そう捉えてみれば、その発言の多くがブーメランであることに気付けるはずです。大体ですね、説教だと認識されている時点でその人って尊敬されていないわけなんですよ。説教って内容が全く同じでも自分が尊敬したり凄いと思っている人間に言われたらアドバイスですからね。 要するに、そういう風に尊敬もすることが出来ないようなやつが言っていることを真に受けても、その人にしかなれないんですね。その人にしかなれないのなら、その人の言うことなんて話半分に聞けばよろしい。そしてその中から得られる反省点-「自分はこうしたから、こうなれたんだ」みたいなのは真逆を生きましょう。そうすればその人みたいにはならなくてすむのですからね。