哲学の世界も大激変が起きているように、世界もいまポストグローバリズムと言われる時代になってきています。その最大の特徴は最呪術化です。 オススメ記事 ポスト・グローバル化する世界 今、私たちはどのような時代を生きているのだろうか? 「グローバル時代」という表現が人口に膾炙して久しいが、おそらくもうその時代は終焉を迎えつつあるのではないだろうか。 グローバル時代とは、国境を越えた相互依存関係によって、文字通り世界中の国が一つのglobe(地球)になった時代を指している。 しかし、アメリカの保護主義や移民制限、イギリスのEU離脱に見られるようなナショナリズム的潮流に鑑みると、私にはどうも時代が逆行しているように思えてならない。 Photo by gettyimages では、単に時代が退行現象にあるのかというと、そうでもない。人々は、インターネットや世界的規模で信仰されている世界宗教によって、国境など気にせず本能や欲望のままにつながり合おうとしているのだから。 その意味で、そうした混沌とした新しい世界状況を、「ポスト・グローバル化」と呼ぶことができるかもしれない。 それでは、このポスト・グローバル化する世界で、いったい何が起こりつつあるのか? もう少し詳しく見ていくと、時代を規定する新しい物差しが浮かび上がってくる。大きく分けて、四つの新しい現象が世界規模で生起しつつあるように思われるのだ。 理性主義が揺らぎを見せている 一つ目は、ポスト真実や反知性主義といった言葉に象徴されるような、あるいは再魔術化と呼ばれる世界宗教の隆盛に見られるような、情緒的な決定が世界を動かす状況である。 その意味では、ここにアートの社会的重要性が増している現象を加えてもいいだろう。一言でいうと、感情の台頭とでも形容することができようか。 二つ目は、哲学の世界で起こっている地殻変動である。哲学の世界では、ここ10年ほどの間に、まったく新しい潮流が生じている。思弁的実在論やOOO(Object-Oriented Ontology:オブジェクト志向存在論)に代表されるような思弁的転回(speculative turn)のことである。 これに新しい唯物論も加えてその特徴を描写するなら、理性を必ずしも重視しない、いわばモノ主体の世界観ということができるだろう。 哲学の世界の変化など取るに足らない、などと思わないでいただきたい。もちろん私の専門が哲学であることも、この新しい動きに注目する理由ではあるのだが、決してそれだけではない。 古代ギリシアで哲学が誕生して以来、特に西洋社会では、あらゆる学問や制度の背景に常に哲学があったのである。こうした思弁的転回という視点も合わせて考えると、いま脱理性時代ともいうべき段階に入りつつあることがわかるだろう。 つまり、感情やモノといった理性とは対極にある要素が台頭してきたことで、西洋哲学の誕生以来不動の地位を占めてきた理性主義が、ついに揺らぎを見せているのだ。 そして三つ目の現象として、テクノロジーの発達が、その脱理性主義に拍車をかけているといっていいだろう。AI(人工知能)やインターネットの発達、また監視のためのテクノロジー等に反比例するかのように、人間の理性が存在感を薄めつつあるのだ。 その点では、四つ目の現象である共同性の拡大も、脱理性主義という枠組みの中で説明可能だろう。個人を主体に構築されてきたシステムが限界を迎え、今、様々な形での共同を志向し始めている。 連帯のための思想といわれるプラグマティズムの隆盛、世界中に広がりつつあるシェアリング・エコノミーという発想は、まさにその典型だといえる。自分だけでなく他者をも幸福にするための思想、効果的な利他主義もその一つだ。 via: あなたをアップグレードするための「12の哲学最新ワード」教えます(小川 仁志) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) 理性の終わり 反知性主義という言葉が広く世界に知らしめられたのはトランプ大統領の出現が大きい理由だったと言えます。しかしその言葉自体は遥か昔からありました。主に宗教の分野においてエリート歯科宗教の本質理解できないという考え方を知性主義と呼び、そのような考え方を否定する思想を反知性主義と呼んだのです。 つまり反知性主義とは、知性を指定しているのではなくて知性主義を否定しているのです。分からない人にはずっとわからない、頭が悪い人には理解できないと言った考え方を否定する考え方なのです。実際トランプ大統領支持してる人の多くはヒラリーのようなエリート的な考え方が好きじゃない人が多いです。ヒラリーはいかにも頭が悪いやつにはよくわからないだろうと思って話してるような部分があり、国民も敏感にそれを理解しているのでしょう 。 このような理性主義的な考え方への反発が、いまや世界の大きな潮流になってきています。理性は絶対的なものではなく、人の頭というのもそれほど優れたものではない。感情や感覚というのはもっと大事なものであって、人間の理性らしいものなどAIなどの登場によって簡単に追い越されてしまい得る。いままで馬鹿を馬鹿だと馬鹿にしてきた人間こそが、それゆえに馬鹿になりえる時代が来ているのです。 これからの世界はどう変わるのか 哲学的な視野から見た世界の変化は明確です。それは、論理や言葉といったものが持つ力が弱まって、感情や感覚、それの真逆のものとして「モノそのもの」がもっと大きな存在感を持つと言われています。スマート家具などもそうですがIoTのようにあらゆるものがインターネットに繋がったとき、賢いモノたちは一体どんな挙動をするのでしょうか。人間とは又違う論理に基いて様々な協働をするとき、まるで意思のある一個の生命体のようにすら見えてくる日がくるのかもしれません。 そして忘れてはいけないのがシェアの文化。人と共有し、分け合う新たな公共性の存在が問われています。一体どのような価値が生まれ、あるいは創造されていくのか。そこにあるんは、文化を越えて人と人が協力しあえるシーンでもあります。一緒になって何かをやるときに、様々なボーダーの意味が失われていくでしょう。ダイバーシティが尊重される社会というのはまさにそういう社会ですし、人と協働して新しいものを生み出すコラボレーションの考え方に一番じゃまになるのがダイバーシティを敵視する考えです。 少なくとも、いまよりもっと理性的なものが否定される時代がやってくるのは間違いないでしょう。理性よりも感情。正しいことよりも耳障りの良いことが価値をもってこの世界を支配するのです。トランプ大統領を生み出したアメリカでは既にこのようなカルチャーが生まれつつあるのでしょうね。