最近のmetooムーブメントに対して、男は口説くことも許されないのかという反論がある。しかし、そんな反論は全く無意味だ。口説くこととセクハラ、性暴力は別のことであるから。 オススメ記事 極めて暴力的な、卑劣な犯罪 「#MeToo」の動きに対して「男性にも口説く権利はある」という批判が出たようだが、「口説く」のと「性暴力」は全く別なのになあという違和感がある。 「口説き、口説かれる」のは、互いのやり取りで、二人ともが楽しみながら何らかの合意に達するのであれば、全く問題にならない。むしろそれを楽しめるのは素晴らしいことだ。 ところが、口説かれる方が口説かれたくないと思っているのに、「いいじゃないか」と続けると性暴力に限りなく近づいてくる。いわゆる「ナンパ崩れ」と呼ばれる性犯罪が生じるのはそういう場合であろう。 相手の感情や意向を無視して、ごり押しするのは、全く粋じゃない。 性暴力被害は、被害を受ける側は無力な状態、選択の余地や自由が利かない状態に置かれる。 「口説く」のは自由であるが、「口説かれる」方が自身の性行動に関する自由意思を実現できなくなれば、それは暴力となる。 「今、この水を飲みたくない」と断っているにも関わらず、「嫌々、この水はとても美味しくて、健康にもいいから飲みなさい」と、口をこじ開けさせて水を注ぎこめば、それは、暴力である。 そして現実に起きている性暴力(犯罪)は、こうした「口説く―口説かれる」といった話ではまったくない。 例えば、眠剤等を飲み物に入れて自由な判断決定をできない状態にさせてセックスに及ぶとか、小さな子供に一方的に行うとか、NOと言えない圧倒的パワーを乱用するとか、相手の抵抗を抑えるために緻密に計算された、極めて暴力的な、卑劣な犯罪である。 とても単純なことなのに、なぜ加害側の「言い訳」が未だにかなり通用するのかが、よく分からない。 via: 性犯罪者数百人と面会して見えた「性暴力問題の本質」(藤岡 淳子) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) 暴力、とはどういう意味か? 暴力と聞いた時に一体どんなものを想像するでしょうか。私たちは一般的に肉体的な暴力、例えば殴ったり蹴ったり、怪我をさせるようなものを一般に暴力と呼んでいるように思います。しかしこの記事を読んだ方はすぐにわかると思いますが暴力というのは単純に物理的なものだけを指す訳ではありません。 例えばドメスティックバイオレンスにおいては物理的な暴力以外にも多くの暴力が認定されています。経済的暴力というのは、 働いている人間が家庭にお金を入れないことを指します。生活費や家事のためのお金すら支払われないこともありますし、配偶者に対して一切の金銭的な支援をしないようなものもこの経済的な暴力に含まれます。 あるいはもっと広い定義もあります。平和学において有名なヨハンガルトゥングという研究者は構造的暴力という概念を提示しました。構造的暴力というのはもしそれがなければ、その人間がもっと大きな可能性を実現することができた場合に、その妨げになっているものこと状況をまとめて構造的暴力と呼んだのです。 ここで重要なことは、広範な定義を持つということです。それでは参照記事でも問題になっている性暴力というのは一体どのようなものなのでしょうか。 無理やり性的な行為をすること 性暴力というのは極めてシンプルな定義を持ちます。それは相手の意に反して性的行為を行うことです。これには相手の意識を確認しないということも暴力に含まれます。 端的に言えば酔っ払っているなどの理由で相手の意識を確認できないような状態で性行為を行うことは、典型的な性暴力と言えるでしょう。 そう考えればすぐにわかりますが、人を口説くという行為自体は特に性暴力ではありません。相手が望まないことを相手が断れない状況で性的行為をするのであれば、間違いなくそれは性暴力と言えるでしょう。 常識的に考えてみれば分かると思うのですが、一般的な恋愛関係を性暴力と呼ぶことはありません。そこになんらかの強制や抵抗の排除があった時にそれを性暴力と呼ぶのです。口説くことと性暴力が区別ができないなどというのはあまりにもくだらない言い訳に過ぎないでしょう。望まない相手に望まない行為をすることぐらい近くできないような人間であればそれこそ性暴力予備軍ですので家にこもってるのがいいと思います。