いま、にわかに子供向けの歌謡曲が話題になっています。あたしお母さんだから、色んな好きなものを諦めて子どもに全てを捧げられるのよ、という歌ですが…。 オススメ記事 絵本作家の「のぶみ」さんが作った幼児向けの曲の歌詞が、母親らを中心に「母の自己犠牲の押し付けではないか」などと反発の声がネット上で次々に上がり、大炎上している。 のぶみさんは、これに対し、「ママおつかれさまの応援歌」などとフェイスブック上で説明して理解を求めている。 のぶみさんはフェイスブックで説明 のぶみさんはフェイスブックで説明 「おかあさんだから」 のぶみさんは、ベストセラーになった「ママがおばけになっちゃった!」などの絵本で知られる。今回は、新曲「あたしおかあさんだから」を作詞し、NHK「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさんだった横山だいすけさん(34)が歌を担当している。 横山さんは、動画サイト「Hulu」の2018年2月2日の放送で、この曲を初披露した。 曲の歌詞では、母親になる前は、ヒールを履いてネイルもして強がっていたが、今は爪を切って子供と走れる服を着るなどとしており、「あたしおかあさんだから」とした。自分より子供を優先し、好きなおかずをあげたり、テレビも子供が見たい番組にしたりしていると歌い、題名のフレーズを繰り返している。 のぶみさんは2日、「この曲は日本中のママたちに話を聞いて作り上げた曲 初めて今日放送されたの聞いたら感動した たくさんのママに聞いて欲しい」とツイッターで呼びかけた。 ところが、歌詞内容が伝わると、幼い子供がいる母親らからは、疑問や批判が噴出している。 「私は飲みにも行くしそこまで料理も頑張りませんがおかあさんじゃないのかな?」「あたしおかあさんだから なんて考えたことない」「父親は変わる必要ないのか?」…… 「歌を聴いて感動した人たくさんみた」 ツイッター上では、「#あたしおかあさんだけど」というハッシュタグも歌詞に対抗して作られた。この言葉に続けて、「自分のアイスは死守するの」「自分の趣味も大事にするよ」「1人の人間だ」などと次々に投稿されている。 一方、のぶみさんを擁護する声もネット上では出ており、「批判される意味がわかりません。!!私この曲大好きです」「今、子育て中のママ達はこの歌に感動して救われて、涙しています」「一部の方の間違った受け止め方によって、のぶみ先生の優しさ(歌や歌詞)を潰さないで欲しいです」などと書き込まれている。 ネット上の炎上状態を受けて、のぶみさんは2月5日、フェイスブックなどで歌詞の意味を説明した。 そこでは、「僕としては、あたしおかあさんだから体験できたことを歌詞にしてます」として、「この歌を聴いて感動したって人、僕は、目の前でたくさんみた」と明かした。そして、「これは、元々ママおつかれさまの応援歌なんだ」「この炎上で 全て、この歌が無かったことになったり 今後、聞いてもらえなくなるのは、悲しい」と歌の存続を訴えている。 どっちの立場もわかる これはなんともいえないニュースですね。どちらの気持ちも大変よくわかるからこそ、なんだかうまく言葉にまとまりません。この歌を聞いて、涙する母親は決して少なくないはずです。自分が子供に向ける思いは自分を思う気持ちよりももっと大きい、いろんなことを諦めてきたけれど、それでもあなたがいるから私はそれで良い。それは究極の愛であり、その気持は自分を強く満たすものでしょう。このような歌を通して自分のやっていることに改めて価値を感じて嬉しく思う人は少なくないはずです。 と同時に、そのような何もかもを投げ捨てるような母親の愛を求められることに苦痛を感じる人も又多い。自分は色んなものをあきらめたくないし、なにより諦めることを要求されるのだとしたらそれには腹が立ちさえするというわけです。まるで子供以外の何かを求めることをわがままかのように言われているようで嫌な気持ちになるわけです。 結局何が言いたいの? これって結局「でも色んな歌がこの世界にある中で、その歌をどう読み取るのかって人によるよね」とまとめてしまうことも出来なくはありません。彼はそもそも何のために主張しているのでしょうか。そこが整理されないならただの意見のぶつけあいです。 感動した! 派の人の意見はどうやらシンプルです。これは素晴らしい歌なので、公開を中止するといった処置はしないでほしいというもの。わかりやすいですね。 では、この歌が嫌だと言っている人たちはどうでしょうか。公開を中止せよといった文言はあまり見ません。このようなプレッシャーを与えられることが怖い、嫌だといった反応が多いです。そうなんだ、としか言いようがありませんね。公開を停止させるほど凶悪な内容だとは思いませんが、それを嫌だと思う気持ちはよくわかります。でも、それでこの話はおしまいですね。 少なくとも公開するかどうかという議論ではなく、むしろそういう生き辛さをどんな風に昇華していけるかというところに議論のベクトルや重心が移ることを祈っています。