無人機が人を爆撃して死に至らしめる。そんなSFの世界のことだった悲劇は現実のものになっています。でも、その死はどこまでも非現実的です。顔認証とドローンの組み合わせは恐怖です。 オススメ記事 IRIB国際放送・サハルチャンネルのウルドゥー語放送によりますと、アメリカの無人機が30日木曜、パキスタン北西部パラチナルから15キロの地点にある部族地域を攻撃し、これにより3人が死亡しました。 これ以前にも、アメリカ軍の戦闘機は、パキスタン北部ハイバルパフトゥンハ州の各地を爆撃し、数百人を殺害しています。 パキスタンの政府高官や宗教関係者は、アメリカ軍の空爆をパキスタンの領土への侵犯だとして非難しまています。 via: アメリカ軍の無人機がパキスタン北西部を攻撃 – Pars Today 無人機という恐怖 無人機は、使う側にとっては非常に理にかなった武器です。なぜなら、戦闘や戦争において最も忌み嫌われるのは自国の兵士が死ぬこと、そしてそれによって反戦感情が生まれることだからです。無線機を使っている限り、その最大のリスクを犯す必要がありません。一言で言うとこっちは誰も死なないのに、相手を殺すことが出来るのです。それは最高の道具だといえるでしょう。 そしてそれは攻撃される側にとっては紛れもない悪夢です。自分たちを襲ってくるその機械には人間が乗っておらず、例えいくら撃退しようとも相手の人間はちっとも減らない。無機質に殺されるというのは、とんでもない恐怖のはずです。しかもこちらの顔をカメラでちゃんと認識してから殺してくるわけですし、逃げたら追いかけてきます。映画や漫画の世界のようですが、本当にそんな時代が来ているのです。 手の汚れない戦争 しかし、私はこのような無人機での殺害には否定的な立場を取っています。それは、戦争のリスクを限りなく低減させるものであり、それはそのまま殺人の抵抗も限りなく低減させるものだからです。本来人を殺すということは大きな逡巡と共にやるべきです。こんな風に無人機で殺すことが出来るようになれば、軍の中では何が見えているでしょう。 おそらく、それらの無人機から送られてくる映像、そしてマップに映し出された敵・アジト・無人機の位置関係くらいのものでしょう。まるでゲームか何かのように、その戦争は進行し、そしてたくさんの人が死んでいくのです。これは恐ろしいことだと思いませんか。 核兵器のような兵器がなぜ許されないかというと、それは市民と軍人の区別なく殺害しているからです。原子力などの問題ももちろんありますが、それ以上に無差別性というのが問題です。しかし、このような無人機が服装や顔から認識して攻撃すればそのような無差別性による非難を回避することが出来てしまいます。それが恐ろしい。 攻撃する側にとってはメリットばかりの無人機というのが、私には本当に恐ろしいものに見えます。これを許すくらいなら、もういっそシミュレーションゲームで勝敗を付けたら良い。そうしたら誰も死なないのに、と思ってしまいます。