<修学旅行>明治の生徒は想像絶する健脚

続きを読む
はてなブックマークに追加
修学旅行の行程図=「伯耆文化研究」第18号から 毎日新聞  公共交通機関が未発達だった1893(明治26)年4月、松江市の県第一尋常中学校(現・松江北高)が、徒歩を中心にした全行程約500キロの修学旅行を実施していた。鳥取県米子市の地域文化研究誌「伯耆文化研究」がこのほど発行した第18号で、こんな事例を紹介している。山陰では修学旅行の草分けとみられるが、124年前の生徒たちは現在では想像できないほどの健脚ぶりだったようだ。【小松原弘人】 伯耆文化研究会の理事で郷土史家の岩佐武彦さん(78)が、米子市立図書館と島根県立図書館(松江市)で山陰新聞(現・山陰中央新報)の記事「三道旅行記」を発見した。三道は山陰道、山陽道、南海道を指しており、同行した記者が執筆して同紙で随時掲載された。岩佐さんは記事と自身の解説、行程図をまとめた「全行程500キロ 徒歩・川舟・汽船による修学旅行」を寄稿した。 岩佐さんや三道旅行記によると、修学旅行は4月5日から同15日までで、島根、鳥取、岡山、香川、広島県を巡った。参加者は3〜5年の生徒と教師の計81人。行程の約4分の1は汽船、川舟、鉄道を利用したが、残りは徒歩での移動だった。記事では記者が見た当時の交通事情や世相、それぞれの地域の様子を詳細に記録している。 初日には鳥取、岡山県境にある残雪の四十曲峠(770メートル)を踏破しており、記事は「足の疲れがひどく、寒さも甚だしく、耐え難い」と苦労ぶりを記述。岡山では市街地や医学校、紡績工場を、香川では屋島の源平合戦古戦場や高松城、金刀比羅宮など見学した。紡績工場では「電灯こうこうとして輝き」「発電機あり」「大機械あり」と驚きが書かれている。深夜や未明に出発することもあった。汽船で松江に帰った夜は、下級生らが拍手と歓声で出迎えたという。 当時の服装は、1903(明治36)年に修学旅行をした第二中学校(現・米子東高)の創立90周年記念誌にある「木綿の筒袖、はかま、制帽、脚半、草履、布鞄」に似ていたとみられる。岩佐さんによると修学旅行は1892(明治25)年ごろから広まりだし、「当時、記者が同行するほど注目されていたが、現代とは全く趣が異なったようだ。記事も当時の社会をよく伝えており、貴重だ」と話している。

(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>

続きを読む

新着画像

注目記事

新着記事

【AKB48】メンバーは宿先のホテルでAVをよく見るらしい【村山彩希】2021/10/30 15:03
弊社情シス、ZIPと別メールでパスワードを送る運用に疑問を感じ画期的なシステムを導入!2021/10/30 14:11
【AKB48】酒にグッズを浸すのはもう古い!これからのオタ活を変える新グッズが登場!!2021/10/30 14:03
広島カイル・バードが31日帰国 去就は未定 今季加入し中継ぎワンポイントなどで33試合登板2021/10/30 14:00
「ベストヒット歌謡祭」にAKB48が出演決定!2021/10/30 13:03
【女性自身】怒りのぱんつ告発で支持を集めた元バイトAKBラーメン屋店主、数々の疑惑噴出し大ピンチ2021/10/30 12:03
【祝】指原莉乃のYoutubeが登録者数100万人突破!!!【さしはらちゃんねる】2021/10/30 11:03
【AKB48G】2021年度MVP渋谷凪咲、新人王本郷柚巴、カムバック賞本田仁美、逆MVP鈴木優香2021/10/30 10:03
ロッテ小窪哲也が現役引退「本当に幸せなプロ野球人生でした」13年プレーしたカープにも感謝2021/10/30 10:00