45: 専守防衛さん 昭和19年、マレー半島ペナンに司令部を置く高須四郎中将麾下の南西方面艦隊 は、インド洋に於いて通商破壊戦を立案し、左近允尚正少将を司令官とする重巡 青葉以下の第16戦隊に出動を命じた。 3月9日、臨時に第16戦隊に派遣された重巡「利根」が、豪州から肉、小麦などの 食料を満載してインドへ向かう英国商船ビハール号を発見、停船を命じたが、逃走 を企てたので砲撃して撃沈した。 その際、一旦救助した捕虜80名のうち65名を利根艦上で処刑したと言う容疑で、 左近允中将と、当時の利根艦長黛大佐が香港法廷で戦犯として裁かれ、左近允 中将は絞首刑、黛大佐は懲役7年に処せられた。 その左近允中将は昭和23年1月21日、「絞首台何のその 敵を見て立つ艦橋ぞ」 と言うすさまじい辞世を残して刑場の露と消えた。 遺骨はもとより遺品も帰らなかったという。 20年後、香港にインドネシアへ赴任する防衛駐在官が訪れた。 香港領事が観光案内をしようとするが、スタンレー刑務所の死刑囚監房と絞首台を 一目見たいという。 その人こそ、左近允中将の一人生き残った息子、尚敏二佐であった。 領事は意気に打たれて、様々な策を弄し、法務官と言うことにして、その刑務所と 内部の死刑囚監房、絞首台の見学を認めさせた。 続きを読む