転載元 : http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssr/1547568434/ 1 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします 2019/01/16(水) 01:07:15.31 ID:NAaxTZrh0 「はぁっ、はぁっ、はっ――――」 キュッ、キュッというシューズの音が響くレッスンルーム。 窓の向こうも真っ暗になった夜中、私はひとりきりで自主練をしていました。 (ここでキメ……!) 脳内に流れるBGMの最後の一音とともに決めポーズをとり、私は鏡を見つめました。 事務所支給のレッスンウェアに身を包んだ17歳の少女。黒髪は両耳の後ろでまとめられて肩に落ち、汗のせいでしっとりと湿っています。 顔には割合大きな四角レンズの黒縁メガネがかけられています。その奥でこちらを見つめ返す鳶色の瞳は不敵な表情を作っていました。 すうっと、潮が引くように頭が冷静になり、私は一度息を吐きました。 全身から力を抜くと鏡の私は普段の私と同じになりました。どこにでもいる、地味な女の子。 (70点……かな。まだまだ精度を上げられるはず。表情だって) 今鏡に映る鳶色はさっきまでとはまるで逆に色褪せているように見えました。 ふと頭に邪念が浮かんできます。それを振り払うように、私は再び曲の頭から踊り始めました。 2 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします 2019/01/16(水) 01:07:57.40 ID:NAaxTZrh0 切り上げようと思ったのは八時を少し回った頃でした。 息を整え、入念にクールダウンしてから更衣室で着替えます。 ウェアを脱いでいるときも、汗をぬぐっているときも、制服に戻るときも、私の頭の中にあったのは先の自主練のことばかりでした。 結局、私は満足できるレベルに到達できませんでした。 ダンスに関してはかなり仕上がっているように思えるのですが、それ以外――たとえば覇気やカリスマ性、スター性といったようなものが私の中からは見いだせなかったのです。 それはそう、一朝一夕で手に入れられるものでもないことはじゅうぶん分かっています。 だけど、劇場の他のアイドルたちに感じられる煌めきの欠片のようなものが、今の私にはないような気がしたのです。 ため息をつきそうになった心に鞭を打ちます。 次の定期公演まで残り一週間。凹んでいる暇なんてありません。 もっと努力を重ねて、みんなに追いつけるようにしなくては。 「よしっ、がんばるぞ!」 気合を改めて入れ直し、私は更衣室を後にしました。 3 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします 2019/01/16(水) 01:08:27.69 ID:NAaxTZrh0 帰る間際、プロデューサーにあいさつしに行こうと思いました。 彼はまだ事務室で仕事をしているはずです。案の定、ドアと床の隙間から光が廊下に漏れだしていました。 「プロデューサー、お疲れさまです」 部屋に入るなりそう言ったのですが、 「あれ。いないんですか?」 そこはもぬけの殻で、私は拍子抜けしてしまいました。 部屋の照明はついているし、パソコンも不用心なことに電源がついたままです。 プロデューサーの椅子には背広がかけられていました。トイレにでも行ったのでしょうか。 (…………) 私は彼の机の元まで行って、背広を手に取りました。 部屋の中をもう一度見回し、誰もいないことを確認します。ドアは閉まっているし、廊下から足音も聞こえてきません。 手にした背広を鼻に当て、私は息を吸いました。 鼻腔に滑り込んでくる匂い。夜まで仕事をしているプロデューサーの、一日分の匂い。 4 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします 2019/01/16(水) 01:08:57.93 ID:NAaxTZrh0 「すーー……すんすん、すうーー……ふはぁ……」 そのまま深呼吸を繰り返す私。 汗や成人男性の体臭が混ざった、とても良い香りとは言えない匂い。 だけどそれを嗅ぐごとに私の心臓は跳ね、頭がふわふわと気持ちよくなっていきました。 そうです。私はプロデューサーの匂いが好きなのです。 このことは誰にも言っていません。言えるはずもありません。 日常のふとした瞬間にプロデューサーの匂いがすると私の心は妙に昂ってしまいます。 彼がよく使う社用車に乗ったりこの事務室に入るだけで鼓動が早まり、胸の奥が疼くのです。 こんなこと誰かに知られたら……想像すらしたくありません。 「はぁ、はぁ……」 まだ足音は聞こえてきませんでした。もしかしたら外へ買い出しにでも行ったのかもしれない。 それならばまだ時間はある。まだこうしていられる。いや、それより……。 私の足は何かに取りつかれたように勝手に動いていました。 続きを読む