332: ヤマト 01/12/01 01:11 誰も許可してくれないが、勝手にカキコ すまんね>1 「ホタル帰る」2001年5月28日第1刷発行 発行所 草思社 著者 赤羽礼子(旧姓 鳥浜) 石井宏 ヨリ 以下 第四五振武隊隊長、藤井一中尉は特攻出撃も終わりに近い五月二十八日、部下を率いて出撃、 還らぬ人となった。富屋を訪れたであろう藤井中尉について、トメは年長の物静かな人がいた という以外にとくに印象がなかった。 戦後、藤井中尉にまつわる話を聞いたトメは涙が止まらなかった。 戦争が始まった頃、藤井中尉は少年飛行兵の教官に就任した。彼は自分にも厳しい人で、 戦争が激化し、かつての部下だった少年兵たちの戦死の報を聞くにつれ、 「おまえたちだけを死なせるわけにはいかん」が口癖になり、みずから特攻兵を志願した。 藤井中尉は年齢的にも若くなく、結婚してすでに二児があった。こうした年長で係累の多い 将校などの場合、特攻としては採用されないのが原則である。当然のように 藤井中尉の志願は却下された。しかし、「教え子が死んでくのに自分だけがおめおめと 生きているわけにはいかない」という彼の信念は変わらなかった。 妻は最初は反対したが、次第に夫の固い覚悟に押し切られるかたちになった。 夫は再度却下されると、今度は血書して願書を提出した。夫の決意の固さを知った妻は、 後顧の憂いを絶つために 昭和十九年十二月十五日、近くを流れる荒川に、二人の子を道連れに投身自殺した。 自分たちが生きていては心残りとなるでしょうから、お先に行って待っています、 という遺書が残されていた。 血書の願書に妻子の自殺―藤井中尉の特攻志願は受理された。十二月二十日のことであった。 合掌 続きを読む