とうとうここまで来たか、という感じですね。着々と人間の科学技術は踏み越えてはいけないところまで進んでいるように思います。 オススメ記事 科学者はポンプ、加熱器、そして人工血液の入った袋を用いて、豚の脳の血液循環を回復させた 米イェール大学の研究者たちが、胴体を除去した豚の脳に対する血液循環を人工的に回復させ、最大36時間にわたって生存させていた。米国の学会で3月28日に発表されたこの研究が、倫理的論争を呼び起こしている。 研究チームの目的は、医学研究の研究室で体につながった人間の脳を研究する方法を開発することだった。 実験に使われた動物に意識があったことを示す証拠はないものの、ある程度の意識は残っていたのではないかという懸念がある。 研究の詳細は3月28日、米メリーランド州ベセスダの米国立衛生研究所(NIH)で開かれた脳科学倫理学会で発表された。学術誌MITテクノロジーレビューのウェブサイトにも4月25日付けで同研究の紹介記事が掲載されている。 イェール大学のネナド・セスタン教授による研究は、米国の神経科学研究から浮かび上がった倫理的問題に関するNIHによる調査の一環として議論された。 セスタン教授は、同氏と同氏の研究チームは100匹以上の豚の脳で実験したと説明した。 研究チームは、豚の脳はポンプ、加熱器、そして人工血液を入れた袋で作った装置を用いることで血液循環を回復できることを発見した。 結果的に研究チームは、豚の脳細胞を存命させ通常の活動が可能な状態を最大36時間にわたり維持することに成功したという。 セスタン教授は研究の成果を「あぜんとするような」ものだと表現したといわれている。もしこの成果が人間の脳を用いても繰り返せた場合、研究者たちは神経疾患に対する新しい治療法の実験にそれらを用いることができるだろう。 しかしセスタン教授は、潜在的な倫理的懸念もいち早く指摘した。懸念には、実験に使われた脳が何らかの意識を持っているのかどうか、持っているならば特別な保護をするべきなのか、あるいはこの技術が、体が消耗したときに脳を移植することによって人の寿命を延長することに使えるのか、もしくは使われるべきかが含まれる。 Image copyright Reuters Image caption イェール大学の研究者たちは自らの研究が潜在的な倫理的懸念を生んでいることを認識している 科学誌ネイチャーのウェブサイトに25日掲載された注釈記事で、セスタン教授と他の米国を代表する神経科学者15人は、研究の指針となるはっきりとした規則を求めた。 via: 胴体なし、豚の脳だけ延命させる研究に倫理的論争 – BBCニュース 水槽の中の脳 みなさんは思考実験という言葉を聞いたことがあるでしょうか。ある程度極端なケースを想定した上で、それについて考えることとでも定義しておきましょうか。例えば「世界5分前仮説」などが有名でしょう。この世界はたった5分前に構成されたものであるとしたら、という思考実験です。ここでは記憶などもシナプスなどの構成によって作られているとしたら、5分前以前の記憶も構成された状態でここにいま急に存在したとしても、私たちは自分たちがずっと昔からこうやって生きていると認識していきてしまえるのではないかという話です。 ここでは、因果関係や人の意識とは何か、記憶とは何かといったことを考える良いきっかけになることから思考実験と呼ばれることになるのでしょう。この仮説を否定することは極めて困難ですが、別に物理学的な仮説では無いので「そんな風に考えてみるのも面白いね」くらいに考えれば良いのかもしれません。 今回の豚の実験は、そのような思考実験の中でも有名な「水槽の中の脳」といわれるものを彷彿とさせます。これは、水槽の中に浮かんだ脳が「なんてきれいな青空だ!」「私はいまピクニックに来ている」といった吹き出しと共にイラストで紹介されることが多いです。映画マトリックスの世界観に近いといって良いでしょう。 すなわち、脳に直接栄養を与えた上でそこで思考のようなものをさせれば、その脳は自律的に何かを感じて考える事が出来るのではないか。いまここにいる私達も、そんな風にどこかで電気信号を与えられていまこの人生を生きているように感じさせられているだけではないか、そんな非現実的でありながら恐怖を感じる思考実験です。 豚は生きてるのか 今回の豚は、もはや体から切り離された状態でありながら36時間ほど生命機能を失わなかったと言います。そのとき、脳は一体何を処理しているのでしょうか。視神経などはつながっていないと思いますから目は見えないでしょう、耳も同様でしょう。痛みはどうなっていたのでしょうか、お腹はすかないのでしょうか。 そこに「ある」のは豚なのでしょうか、それとも他の何かなのでしょうか。豚で可能になったのであればいずれ人間の脳でも可能になるでしょう。脳を活かしておくことが出来れば、他の体に移植するといったことも可能になるのかもしれません。その体は誰のものになるのでしょうか。SFのような話ですが、少しずつ現実味が増しているように感じますね。