これは酷い。いくらなんでも45年間連れ添ってきた人の参列を認めないのは遺族側が失礼にすぎるよなあ。 オススメ記事 同性カップルで、約45年間連れ添ったパートナーの男性(当時75歳)と死別した大阪府内の自営業男性(69)が26日、火葬への立ち会いを拒否されるなど不当な扱いを受けたうえに、財産の贈与が認められなかったとして、パートナーから相続した親族に、慰謝料や財産の引き渡しなどを求めて大阪地裁に提訴した。 訴状によると、2人は1970年に交際を開始。翌年頃から府内で同居し、原告男性の収入を生活費に充てていた。パートナーの男性は2016年3月に急死。遺言書はなく、親族が不動産や預貯金を相続した。 原告男性は、葬儀の際、親族席に座ることや、火葬場への同行も拒否されたとして、親族に慰謝料700万円を請求。財産贈与についても、「死別の際、残った1人が全財産を受け取る約束を口頭でしていた」と主張している。 via: 45年間同性パートナー、火葬参加拒否され提訴 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) あまりにも薄情 いや、これは酷い。酷すぎるでしょう。45年間連れ添ってきたってこれすごいことですよ。長年連れ添ってきた夫婦ですよ。最後の最後でお別れを言うことも出来ないなんてちょっと信じられない。たとえ差別的な意識があったとしたって、死んでしまった人が一番最後まで一緒にいたかったひとでしょう。遺族の考えがどうこうではなく、故人の意思を尊重すればこのような決定は出来ない。こんなことをして、故人がどれだけ悲しむか想像が出来ないような人たちなんでしょうか。 45年間。いま離婚が当たり前になっている中で45年間。しかも、1970年代からの付き合い。当時は今よりももっともっと同性愛に対する風当たりは強かったでしょう。その中でも愛を持ち続けて、一緒に生きてきた二人。こんな形で最後を迎えるなんて、思ってもいなかったことでしょう。もちろん家族にどのような事情があったかはわかりません。でも、どれほどの事情があればこのような長年の関係性を持った人を葬式から締め出すなんてことができたんでしょうか。私には想像ができない。 遺産の問題も絡んでしまって、お金のトラブルにも発展していたのかもしれませんね。でもこれも、普通に考えればたとえ法的にどのような形であったって、配偶者と同じように扱うべきでしょう。45年ですよ。もうこれ完全に家族より長い付き合いでしょ。それなのに、積み上げてきた関係性のすべてを否定され、パートナーを失って悲しみに沈むときにこんな争いまでしなくてはならないなんて。提訴側の男性の苦しみを思うと胸が痛くなります。 同性婚を求める声の裏側 よく、同性婚を主張する人たちに対して「なんでわざわざ結婚したいんだ」という人もいますね。まさにこういうときのためなんです。結婚というのはもちろん主観的な喜びや満足もあるでしょう。社会に承認された関係になるということもあるでしょう。しかし、それ以上に見落とされがちな側面として税制や法的な権利を持つことが出来るということが重要なポイントです。 今回のような痛ましい状況も、きちんと法律が整備されていれば話は違ったでしょう。男女関係であれば、内縁の夫という形で当然ながら遺産も権利を持ったでしょう。45年間一緒なんですから。婚姻関係にあろうとなかろうと、そんなことはどうでも良いことだと言われるでしょう。しかし、男性同士であると途端に話が変わる。そこに理論的正当性はありますか。ありません。 葬式に受け入れなかったということは、おそらくこの遺族たちは亡くなられた方のことを本当のところ尊重していなかったのではないでしょうか。この2人の関係を疎ましがり、気持ち悪いと思っていたのではないでしょうか。そして遺産を手に入れるためにこの提訴した男性を締め出したんじゃないでしょうか。この最後の文については完全に憶測ですが、でもそうでもなければなんでこんな形でパートナーの死を受け止めなくてはならないのでしょう。