カルト宗教は一般的な人から反対されればされるほど盛り上がるという死ぬほど鬱陶しい性質を持っていることはご存知でしょうか。 オススメ記事 東京・足立の住民らアレフ解散求めてデモ オウム真理教の後継団体アレフが首都圏最大規模の施設を構える東京都足立区で、住民団体が24日、施設周辺をデモ行進し、アレフの早期解散と退去を求めた。 アレフは平成22年3月、足立区入谷の土地とビルを取得。区内には国内で最も多く信者が住む。デモは7年3月20日の地下鉄サリン事件から23年となったのに合わせて実施され、約210人が参加した。 「オウム断固反対」との横断幕を持った近藤弥生足立区長を先頭に、隣接する埼玉県川口市や、アレフから分派した「ひかりの輪」の拠点がある東京都世田谷区の住民も加わり「アレフはいらない」「安心できる街を返せ」と声を上げた。 今年1月、一連の事件を巡る教団の裁判が終結。元教祖、麻原彰晃(しょうこう)(本名・松本智津夫(ちづお))死刑囚(63)ら死刑が確定した13人の執行が現実味を帯びる。住民団体の水上久志会長(73)は「執行後、どんな事態になるか心配だ。警戒を続けたい」と話した。 via: 東京・足立の住民らアレフ解散求めてデモ – 産経ニュース デモは逆効果な気もする カルト宗教というのは様々な特徴によって定義づけられますが、正直新興宗教とカルトの区別など厳密にはありません。そもそもいままともな宗教のような顔をしているイスラーム教もキリスト教も、元々はある種のカルト的でしたし、とても暴力的でした。この宗教を信じていた人たちは気持ち悪がられ、隠れて信仰するしかなかった時代もあります。 そのような中で、宗教というのは少しずつ力をつけていきました。反対されることは必ずしも信仰心を失う理由にはならないと言われています。むしろ、一般の人たちが自分たちの行動を否定すればするほど「彼らは間違った考えによって私達を否定しているが、本当は彼らこそが悪魔の使いであって、救済されない哀れな人間たちなのだ」という思考を強めることになります。 よく恋愛などで言われることですが「反対されればされるほど盛り上がる」要素があるんですね。一般に認められないからこそ、世界はどんどん狭くなってそれを信じている人たち-恋愛の場合はたった2人-の世界に閉じこもることができるのです。同じ価値観を持っている人間同士でしかコミュニケーションをしないのですから、もちろんそこで共有される価値観というのはひたすら強化され続けていきます。 そのような意味で、今回のデモは却って彼らの団結を強めるだけのような気がします。こうやって騒げば騒ぐほど、彼らは「汚れた世界では私達はまるで過去の英雄たちと同じように無知な人間によって迫害されている」というある種のヒロイズムに酔うことができます。悲しいことですが、これは紛れもない事実です。 犯罪をしたら捕まえる、しかない 残念ながら、彼らが行動を止めるべきときは、あくまで彼らが法律に引っかかったことをしたときだけです。あらゆる人は様々な思想を持つことが許されていますし、それが一般的にはゲテモノであろうと同様です。彼らにはそれを信じる権利があるし、集まって話し合ったりすることも権利があります。別に悪いことはしていません。 オウム真理教だってサリン事件などの法律にあたることをするまでは、ある種の新興宗教として認められていましたし、代表も政治家を目指したほどですからそんなに不思議はありません。社会において何となく悪いことをしたからといって罰される社会のほうが怖いですから、明確に法律に抵触する行為をしたときにだけ罰するしかないだろうなと思います。