DVにも様々な種類がありますが、実際結婚していなくてもDVは起こりえます。嫌なことであっても相手に従うほかない精神状態に追い込まれる人は跡を絶ちません。 オススメ記事 恋人との間で起きるデートDV。殴る・蹴るといった身体的な暴力だけでなく、過剰な束縛などで精神的に追い詰めることも含まれ、被害にあう人は少なくない。元セクシー女優の愛葉るびさん(35)もその1人だった。「自分や周りがそういう状況に置かれたときに少しでも気づいてほしい」。旧知の越坂康史監督(51)とともに、自らの体験を元にした映画「17-セブンティーン-」の制作準備を進めており、クラウドファンディングで支援を募っている。 ASAHI 愛葉るびさんの体験を元に制作される映画「17-セブンティーン-」(撮影 北村純一 ©17プロジェクト) 「ただ好きになっただけなのに…いつからか、私はこんな怯える生活をしているのかしら…」 映画のストーリー原案の中にこんなセリフがある。 愛葉さんがデートDVにあったのは16~17歳のころ、当時つきあっていた五つ年上の男性からだった。愛葉さんは高校をやめ、家庭内で孤立。世間体を気にする親は、地元での外出も制限していた。そんな愛葉さんにとって、車で遠くに連れ出してくれる男性は、自分に自由を与えてくれる存在。唯一の頼れる人だった。愛葉さんは「最初は親よりも信頼していた。それが段々と『機嫌を損ねたら良くない』となっていった」と振り返る。 男性が愛葉さんを「支配」する態度は、徐々に強まっていった。愛葉さんが気に入っていた服を没収し、「こういう服を着る資格がない」とののしる▽車で出かけたときに機嫌を損ね、山道の途中で「降りろ」と命じる▽誕生日に「ケーキを食べに行こう」と約束したが、漫画を読んで動かない。愛葉さんが行こうと誘うと、「俺が祝ってあげたくなるような女になるまで、祝ってもらう資格はない」▽キーホルダーを川辺に投げ捨て、「とってこい」と愛葉さんに探させる…… 男性は思い通りにならないと、本気でキレて怒鳴ったり暴力を振るったりと威圧的にふるまった。「俺はいつ別れてもいい」という男性に捨てられないため、愛葉さんは必死だった。 via HUFFPOST 「正常な状態が分からなくなる」愛葉るびさんが体験したデートDVの恐怖 初咲里奈さん主演で映画化へクラウドファンディング 弱者をいたぶる加虐性 DVをする人間というのは常にその被害者を探しています。彼らは愛する人を探しているのではなくて、暴力を振るっても良い人を探しているのです。暴力を振るっても良い人間というのはどのような人でしょうか。 それは自分以外に頼りがなく他の誰にも助けてもらうことのできないような人間です。一般的に社会的弱者と言われる人間が多いでしょう。あるいはプライドが高くて自分の弱みを人に見せられない人間も含まれるかもしれません。 とにかく彼らにとって非常に重要なことは外界をできるだけ途絶えさせるということです。二人だけの関係を作ってその関係の中で自分だけを頼りにするようにし、そして自分はその中で好きなように振る舞うのです。 その人を傷つけることをしてもよい、その人の期待を裏切っても良い、自分がやりたいことだけをやり、やりたくないことは決してやらない。そしてその人が嫌がることはやる。なぜやるか? それは楽しいからというわけではなくて、上下関係を明確に見せつけるためだけにやるのです。 お前は俺の言う事を聞かなくては生きてはいけない人間なんだ、そして理不尽に耐えるということが、その支配と従属の関係を示すことなんだとばかりにその人が嫌がることをやり続けます。そしてそれでも逃げられないやつを見れば見るほどその人は安心するのです。この人をいくらサンドバッグのようにしてボコボコにして傷つけても構わないのだと。 高校生でも起きるDV デート DV と言うのは結婚してからの DV となんらその残虐性は変わりません。そこにあるのはとにかく二人の異常な関係性を生み出し、その異常な関係の中で片方だけがもう一方を不当に傷つけ、そして傷つけられている側が逃れることのできない精神状態に追い込まれるということです。 デート DV というのは高校生の間でもあります。暴力を振るわれるケースもあります。そしてそれが当たり前のことだと思ったり、それは自分のせいだと思い込んでしまうことによって、その関係から出さないのです。 なぜそれができるのか。それは外界を知らず社会を知らず2人の閉じた関係だけにフォーカスしてしまっているからです。この世界は広く、様々な解決策があるということを一人でも多くの人が知っている状態にすることがこのような被害を減らすための唯一の方法だと言えるでしょう。 しかし、テレビやパソコンを見ることなら禁じられるようなケースもあり、その場合の解決方法はより難しくなります。当事者だけではなく、普通の-そして当然ながら DV の被害者になるような-人たちに啓蒙的な活動をしていくことは、この問題に向き合うために必須のことでしょう。この活動もきっとその一環になるはずです。