転載元 : http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/14562/1413363850/ 1 :以下、名無しが深夜にお送りします 2014/10/15(水) 18:04:10 ID:r/oOFIvI 日暮れをとっくに過ぎた夜半の事だった。 野鳥も昆虫も草木も寝静まった深い夜に 弟を眠りから目覚めさせたものがあった。 「なにごと」 眠気で重い身体を起こした。部屋は暗い。 目を細めて闇の中を探った。 鈍った五感に意識を集中させる。 感覚が研ぎ澄まされて鋭敏になった。 2 :以下、名無しが深夜にお送りします 2014/10/15(水) 18:04:47 ID:r/oOFIvI 水深一万メートルの深海に潜った気分だった。 遥か遠くに水面のざわめきを感じた。 弟は永久の無音で息をひそめ続けた。 魚が背びれ、尾ビレで掻きわけて生んだ水の流れ。 穏やかな水流に乗った海藻が僅かに息づく気配。 いかなる生物もその場に留まるだけで空間に影響を与える。 なるほど。なるほど、と弟は理解した。 視野を極端に狭める暗黒に隠れる生き物を見つけた。 弟は口の端を歪めて静かに笑顔を浮かべた。 その微笑は音のない世界に向けてではなく、 闇に擬態し損ねた憐れな動物に見せてだった。 3 :以下、名無しが深夜にお送りします 2014/10/15(水) 18:05:19 ID:r/oOFIvI 「兄よ。この時間だぞ」 水の流れが大きく動いた。 勢いに押された海草がたじろぐ。 三分も待てば闇夜に塗りつぶされた室内から ようやくまともな呼吸音が聞こえてきた。 酸素を欲しがる苦しげな息遣いだった。 「すまない。気の迷いだ」 後に続く許してくれという言葉は小さかった。 戦意を削がれた兄が明確に体の向きを変える気配がした。 しかし弟は逃さなかった。獲物の尾っぽを捕まえていた。 4 :以下、名無しが深夜にお送りします 2014/10/15(水) 18:05:48 ID:11u66cHk 優位にあるのは、体格が小さく非力な弟の方だった。 罪の意識に委縮する兄を、さらにみっつの言葉で脅した。 「このまま帰ってしまえば後悔する」 「兄も僕も今晩のすれ違いを必ず悔やむ」 「なにも言わずに出ていってしまえば、怖れる明日が来る」 光から隔絶された洞穴は、 再び水深一万メートルの圧倒的な深海の闇に戻った。 魚はヒレを動かして滞留を選んだ。 体を傾けていた海藻が頭をもたげて正しく揺れ始めた。 5 :以下、名無しが深夜にお送りします 2014/10/15(水) 18:06:29 ID:11u66cHk 「よくないことをしようとした。とてもよくないことを」 「そのよくないこととはなんだ」 「聞かないでくれ。今ならあやまちを犯さずにすむ」 ふたりの間を流れる水が圧縮されて固く重たくなった。 自らの足で領海におもむき、弟の安息に踏み込んだ兄が、 自らの意思で間違いがあったことを認めて退去を選んでいる。 よくないこととはなんだ、と尋ねるのは愚問だった。 野鳥も昆虫も草木も寝静まった夜半に 一匹の雄が一匹の雄の寝床に近寄る。 続きを読む