徴兵制というのは平等を標榜する国であればむしろ必然的帰結である、ということが日本ではあまり知られていません。一体なぜだ。 オススメ記事 徴兵制について日本人は二つの大きな勘違いをしている。それは、(1)世界で徴兵制を支持しているのは保守派で、左派やリベラルは反対している(2)世界では徴兵制をとってきた国も志願兵制に移行しつつある、ということである。 正しくは次の二つである。すなわち、(1)民主主義の論理を徹底すれば、納税と兵役が「平等な負担」という観点から好ましく、ヨーロッパでは社会民主主義者や共産主義者が徴兵制を支持する一方、保守派は効率性の観点から消極的である(2)21世紀初頭にフランスやドイツが徴兵制を廃止し、一時期はそれがトレンドだったが、テロの横行などを通じて徴兵制のメリットが見直され、しかも男女平等の観点から男女共通の新たな義務兵役が復活傾向にある、というものである。 なぜこのような間違いを犯すかといえば、戦後日本の病理ともいえる『偽リベラル』の幼稚な「反戦」「平和」思想が大きく影響している。最近、私は『「立憲民主党」「朝日新聞」という名の“偽リベラル”』(ワニ書房)という本を書いたが、そこで中国・韓国・北朝鮮に踊らされて日本の国益を蹂躙する「偽リベラル」とは何であり、彼らがいかに世界の現実を歪めて日本人に植え付けてきたかを論じた。彼らは、世界の常識的なリベラル・左派の思想とはかけ離れたその考え方が、あたかも世界の進歩的勢力の共通認識であるがごとく世論を誘導し、日本国家を骨抜きにしてきた。 via: 【正論4月号】意外?実は徴兵制国家は世界の趨勢 評論家 八幡和郎(1/4ページ) – 産経ニュース 民主主義国家なら出て来る帰結の一つ 徴兵制と言うとなんだか昔の軍国主義的な国家を想像するかもしれませんが、いま世界の中では徴兵制のイメージは全く違うものになろうとしています。つまり民主主義的であろうとする国であればあるほど、むしろあらゆる国民が基本的な軍事的な知識や能力を持っている必要があると考えられているのです。 民主主義国家というのは基本的に暴力を必ずしも好ましいものとは考えません。それは日本も同様です。しかし、好ましいものではないとはいえ、その民主主義という自主自立独立した状態を担保するためには、他の国からの攻撃に常に対応できる状態でなくてはなりません。 なぜなら民主主義でない国家に攻撃された場合、民主政権は崩壊してしまうからです。民主主義はその権力を保持するために、軍事力もちろん、他にも経済力やソフトパワーといったものも活用しますが、とにかくそういった様々なパワーが必要とされます。 このようなパワーというものを保持する人間は少数であるべきなのでしょうか。もしも暴力というものが必ずしも望ましいものではないけれども必要なものであるとするならば、民主主義がその国民の平等性を鑑みた時に、それをあらゆる人間に平等に負担させるということは当然出てくる発想の一つです。 平等を目指すなら女性も さらに言うならば、その平等というのが性別も問わないという風になってくるのが最近の自由主義的な国家です。女性だからという理由で何かをしちゃいけないということもないです し、逆に何かをしなくてもよいという風にもならない。 それはLGBTの方や障害を持っている方も同様に、徴兵制に何らかの形で関わるべきであると言う論調になることには何の不思議もありません。なぜならば個人はみなは独立して平等であるからです。 よくよく考えてみたら徴兵制みたいなものを男性だけが担わないといけないということは、現代のリベラルな国家観とはかなりかけ離れたものであると言っても過言ではありません。これがリベラルな国家の最大の矛盾になるのです。 女性だから男性だからということがないのであれば、軍人に女性がいることも何の不思議もありませんし、徴兵制を行うとなればその対象に障害を持った人がいても何の不思議もないのです。 日本のリベラルはこの個人の自由を求めながらおそらく徴兵制のようなものに関しては反発するでしょうから、その矛盾をどのように解決するのかというのは非常に難しい思想的な課題でしょう。