年々自主規制が厳しくなっているテレビ業界。いまではシモネタもいじめを連想させるネタもNGだと言うが、別にそれで良いのではないか。 オススメ記事 『ひょうきん族』は放送禁止 テレビに引っ張りダコの予備校講師・林修が、日本テレビではレギュラー番組をもったことがない。それはなぜか? 「日テレは、『家庭教師のトライ』が主要スポンサーの一つなんです。いくら視聴率が見込めるからと言って、ライバル企業の講師である林修はなかなか起用できないんです」(日テレ関係者) いまテレビの現場は、面白い企画ではなく、いかにスポンサーや視聴者から抗議が来ない番組を作るかということばかりを考えて疲弊している。 なかでも番組作りで絶対に避けなければならないのが、「イジメ」と「過剰な下ネタ」だという。 「以前なら、たとえばバラエティの番組中で、出川哲朗さんが一人だけ理不尽な扱いをされて笑いをとることが多かった。でも、いまは『イジメ』を連想させるというクレームが来る可能性があるので、やりにくくなっています。 ダチョウ倶楽部の上島竜平さんの『アツアツおでん』や『熱湯風呂』が最近見られないのも同じ理由ですね。 このままだと『ハゲ』『デブ』や『出っ歯』という言葉も番組中で使用できなくなるかもしれません。 下ネタも同様です。女性タレントがバナナや棒状のアイスを食べるシーンですら、視聴者に性的にとらえられるかもしれないと自粛しています。 アニメ『クレヨンしんちゃん』で、男性器を象にたとえて描くシーンがありましたが、それすらいまは放送できなくなっています。 こんな調子で現場の制作スタッフが萎縮していたら、毒のない無難な企画ばかりになってしまう。面白い番組なんてできるわけがないですよ」(ベテラン放送作家) via: 実はこんなにあった、テレビの「タブー」と「自主規制」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/2) 当然の流れ テレビ番組がどんどん面白くなくなっていているといいますが、果たしてそれはどのような意味で面白くなくなっているのでしょうか。私は個人的に熱々のおでんを食べさせることや熱湯風呂に入れるということは、相手に明確な危害を加えることであって危害を加えられている人間を見ることを面白おかしく笑うというのが、そもそも自分の好みには全く合いません。 そういうことを楽しいとか面白いとか思ってしまうことそれ自体は仕方ないとしても、それがテレビで放映され、こういうことというのは社会的には面白いと認知されていて、それを人に行ってもいいんだと思ってしまう人が多くなるのは問題でしょう。 よくテレビと現実の世界は違うという風に言いますが、それこそアニメなどと違ってお笑い芸人に直接暴力を振るうような番組については当然ながら現実でもできることばかり行われているわけですし、そういう暴力が社会的に認められてるというメッセージを子供たちが受け取って、それどころか子供達だけではなく大人もそれを受け取って、それをやってもよいのだというふうに考えているのは紛れもない事実です。 テレビの影響を人は受ける 実際このような番組がなくなってしまうことに対して面白くなくなってしまうとか、あるいはもったいない残念だというふうに考える人というのは、まさに人に危害を加えることについて特に何の忌避感も抱いていないということです。 そういう人たちが規制を嫌がるのは当然のことですが、公然と行われる暴力に反対する多くの人にとっては、今テレビ番組が規制が激しくなっているのはある意味当然のことでしょう。下ネタについて私は何とも言えませんが少なくともいじめに関わるような、もっと正確に言うならば「人にわざと暴力を振るってその被害を受けてる人の振る舞いを見て笑う」という行為はどう考えても社会的なメッセージとして発信するというのは絶対に良くないです。 何よりこのようなことができなくなってしまったから面白くないというのは、そういうのが好きな人間だと面白くなくなってしまうというだけであって、他にもいくらでも楽しく面白いことはあるはずです。 普通に考えてみて1970年代のテレビ番組てもそういう暴力的な内容ばかりじゃないことは間違いないんですから、面白くないということを安易に規制のせいにしないでほしいと思いますね。