今回の労働規制について激論が交わされる中、長時間労働だけが過労死の原因ではないのではという主張も出ている。そりゃそうだが、十分条件ではある。 オススメ記事 時間だけで働き方を語るな 長時間残業に上限をはめることは大いに意味があることだ。今国会で是非、成立してもらいたいものだ。だが、高プロに「働かせ放題」「自殺促進」とレッテルを貼って法案から排除することが、本当に働き手にとってプラスになるのか。 多様な働き方が可能になる制度が認められれば、それだけストレスなく働くことができる、ということにはならないのだろうか。 平社員で年収1075万円以上もらっている人は、現状では1%にも満たない。残業代を合わせても年収に1000万円も届かない社員は山ほどいる。残業代がつかない管理職で1000万円以下の人も少なくない。 プロフェッショナルとして平社員が1075万円以上もらうようになれば、管理職の給料がそれ以上に引き上げられていく効果は考えられないのか。 すべて新しい制度ができると経営者はそれを「必ず悪用する」と考えるのが野党政治家の常だ。働き方の自由度を奪い、時間管理の枠内に押し込めておいた方が労働者は幸せだ、というのが旧来型の労働組合の発想なのだ。 さまざまな職業が生まれ、さまざまな働き方を求める人が増えている多様な社会の中で、時間だけを金科玉条にして働き方を規制することに本当に意味があるのか。 それこそ、データや人々のニーズをきちんと踏まえた議論を国会に望みたい。 via: 長時間労働だけが「過労自殺」の本当の原因なのか(磯山 友幸) | 現代ビジネス | 講談社(3/3) 時間を見ることの意味 もちろん様々な考え方や立場があることは認めますが、しかし少なくとも時間というのが極めて重要な概念であることはもはや否定しようがないでしょう。あらゆる人には1日24時間しかなく、労働効率性だのなんだの重要な指標として時間に対してどうか、という見方をします。 あらゆる数字の基本的な評価軸となっているのは時間であり、かつ時間というのは全員に対して平等に存在しているものです。むしろこれ以外の色々なものを評価軸にするほうが却って困難が増してもおかしくありません。成果物の評価でさえ、その質だけではなく出てくるまでの時間が重要になるのですから、この視点を失うわけには絶対にいかないでしょう。 時間で切る、で良い いまの長時間労働が問題になっているのは、そのやりがいの問題でもなければ出せる成果物の問題でもなく、あまりにも長期的な長時間労働というのが人間を壊してしまうからです。その本人の満足度も関係ありません。ちなみに、残業が100時間を超えだすと、残業することのメリットを強く感じだすらしいのですが、これは端的に言って思考体力が奪われてしまっている状態に他ならないでしょう。 長時間労働を防ぐ最も簡単な方法は、時間で労働を抑制することです。時間で労働を抑制するために多くの施策があり得ると思いますが、その施策がどのようなものであっても、あくまで最終目的は労働時間を短くすることであるはずです。そのような施策だけが本質的であって、例えば労働生産性を高めることは目的にはなりません。なぜなら効率がよくなったうえで長時間労働させられることも十分にあるからです。 とにかく、この長時間労働問題というのは日本にはびこる非常な悪習であって、極めて断固たる決意を持って解決されるべきものです。いまやっと働き方改革というのがまともに行われ始めている中で、このように時間だけを絶対視するのは良くないという見方が勢いを持ってしまうことに強い懸念を感じます。