276: 無名兵士 又、兵士の沈黙からひと話、ほとんどの軍オタ諸氏も日赤の従軍看護婦について 興味はないでしょう。 いつか靖国周遊館で展示展をしていたが、自分はもちろん 殆どの人が素どうりしてましたから・・・花田さん(当時26歳)は開戦間際に 極秘に召集された、日華事変で2度大陸にわたっていたが、今回は極秘の召集だった 過去二回、それなりに戦場の血のにおいかいだつもりだが、それでも英米との戦争 が噂されているだけに、体の震えがとまらなかったという、そして12月8日、病院船 のうえで、開戦を知る。 婦長として、部下の看護婦に、どんな事があっても絶対に あわてないで。と話している。 十代、二十歳そこそこの看護婦が、覚悟はできています と言ってくれる。 思わず涙している。 看護婦は全員、救命胴衣、腰にはロープ 呼子笛、そしてフカと闘うためにナイフ下げていたと言う、しかも救命ボートは子持ち 看護婦と重傷者だけ、独身看護婦は泳ぐとの前提であったと言う。 戦争が激しくなると 結局、病院船でも物資や兵員を運んでしまう。 それで米潜に撃沈されたり、飛行機が からかい半分に至近弾を落としていったりする。 それに病院船といえでも不審な動きが あれば照明弾の嵐で物資でも下ろそうモノなら爆撃されてしまう。 まったくたまらない 夜光虫の輝く美しい海だった、南十字星が南天にあった。 双眼鏡で見張りをしながら 同僚の看護婦がつぶやいた、星は美しいね、でも、いま、私たち地獄を見ているのね 動因された看護婦は三万人、公式な戦死者は1000名とされてるが、戦地で終戦を迎えたり その混乱や病気で亡くなった人がもっといたはずだと言う。 あまりにも日の目を みない彼女達に 何と言ってあげてよいのか悩みます。 続きを読む