223: 井上三等兵 乃木将軍と辻占売り ご来場なる皆さん方へ平にご免をこうむりまして 何か一席うかがい(読み上げ)まする かかる外題は何か(を)と聞けば 乃木の将軍辻占売りをうまいわけにはいかないけれど さらばこれから読み上げまする 明治三十七、八年の日露戦争開戦以来苦戦悪戦いたされまして 我が子二人は戦死をすれどうまずたやまず奮闘いたし ついに落城いたされまして御旗旅順にひるがえされた 兵の指揮官乃木大将は戦死なさった我が兵卒の 遺族訪問いたされまして謝罪なさったその一席は 頃は二月の如月時よ武士の育ちの乃木将軍は どこへ行くにも質素な支度今日はおだやか散歩をしようと 家を出かけて梅林にはここに立派な売店ありて 腰をおろして眺めをいたす梅の香りはまた格別で ついに夜更けて十一時ごろ通りかかった両国橋の 水の面に月ありありて波にゆらるるその風景に 寒さ忘れてたたずむ折りに二人連れなる辻占売りが 破れ袷を身にまとわれて弟手を引き寒げな声で 恋の辻占あの早判り買ってください皆さま方と 客を呼ぶ声さも愛らしや兄は一人で心配いたす。 なぜか今夜は少しも売れぬそんなこととは弟知らず これさ兄ちゃん寒くてならぬ 早く帰って母ちゃんのそばでだっこいたして寝んねがしたい 言えば兄貴の申することにさぞや寒かろ我慢をおしよ 兄は弟いたわりながら涙声して客呼ぶ声に 続きを読む