またこの世界に悲しいニュースが生まれました。危ない道路だということで15年間毎日児童を見守っていた地域の方が飲酒運転の軽トラックに轢かれて死亡したのです。そうしてからやっと長年主張してきた信号機の設置が実現…人が死ぬまで変えられないものか。 オススメ記事 ことし1月、島根県益田市で、登校中の児童の見守り活動をしていた73歳の男性が飲酒運転の軽トラックにはねられて死亡した事故を受け、島根県警察本部は現場の交差点に新たに信号機を設置することを決めました。 続きを読む 信号機が設けられるのは島根県益田市の国道と市道が交わる交差点で、ことし1月、横断歩道を渡っていた登校中の児童などの列に飲酒運転の軽トラックが突っ込み、およそ15年間、毎日、児童を見守る活動を続けてきた三原董充さん(73)がはねられて死亡しました。 この交差点は、車の通行量が多い一方、通学の児童なども通ることから以前から信号機の設置を求める声があり、事故で死亡した三原さんも要望する活動に携わっていました。事故のあと改めて周辺住民から要望書が提出され、警察も事故を重く見て検討を進めた結果、新たに信号機を設置することになり、今月21日の島根県の公安委員会で正式に決まりました。信号機は年明けをめどに設置される予定です。 via: 児童見守り活動の男性 事故で死亡 現場に信号機設置へ | NHKニュース なんて悲しいニュースなんだ こんなに悲しいニュースがあるでしょうか。記事の終わりには「彼の遺志を継いでいきたい」みたいなきれいな感じで終わってますけど、これって要するに人が死ぬまで行政は結局動かなかった。そして人が死んだら信号機を設置したということですよ。こんなに馬鹿らしいことってあるでしょうか。だってその信号機は、人が死なないようにするために必要だったんじゃないんですか。 なくなってしまった方は、実に15年間も子どもの交通安全のために見守りをしていたといいます。この道路は前から危険性が高いと親の中でも不安視されており、信号機の設置要請を行政にしていたとのこと。この男性自身も、その信号機の設置のための活動に関わっていたといいます。単純に子どもたちの交通安全のために時間や体力を使っていたのでしょう。 それにも関わらず、要望はいつまで経っても認められませんでした。それがついに認められたのは、設置のために長く活動していた男性がその場で事故で亡くなってから。道路の危険性を身をもって伝えた形になりましたが、こんな悲しい形でないと行政が動かなかったことは非常に大きな問題ではないでしょうか。 出来るのにやらない だって、これって要するに信号を設置することは可能だったけれど、まあ大丈夫だろうと思って無視していたということです。でも考えてみて欲しい。大丈夫だと思われていた理由は事故が少なかったからでしょうが、そもそもその事故が起きないように頑張っていた市民たちがいた事を、行政側はどのように考えていたのでしょうか。 こういう事故というのは、基本的に予防に掛けるお金の方が実際に被害が生じてしまってからの保障に掛かるよりもずっと安く済みます。問題が起きる前に対処したほうが良いに決まっているのです。しかも市民からの要請もある中でそれを無視し続けるというのは、ちょっと信じられません。 とはいえ、行政にお金が無かったということも考えられるでしょう…いつ起きるかわからない事故よりも、他のことにお金を使いたかったのかもしれません。しかし、ボランティアで15年間も活動している人の命がまさに事故で失われてしまってから気づくというのは、余りにもおそすぎるというか悲劇的と思わざるを得ません。 行政の怠慢で一人の命が失われてしまった。その土地で、もう二度と交通事故が起きないことを心から願います。