436: 名無し三等兵 01/12/17 01:51 泣けなる話ではないけど。 もう故人となった母方の祖母から聞いた話。 終戦後、米軍が進駐していた頃の函館。 食料事情の悪かった当時でも祖母は親戚の漁船から魚貝類を貰い 家の軒下で自家製の一夜干しを作っていた。 ところがある朝、乾物を取り込みに外に出るとあるはずの魚は 無くチョコとかクッキー、ガムなどの菓子類に変わっていた。 進駐軍が乾物を失敬した代わりに菓子類を置いていったらしい。 当時、祖母は一人で俺の母も含めて6人も子供を養っていたため、 夕食のおかずの喪失は手痛い事だったが貴重だった甘い菓子類に 子供たちは大喜びしたため、怒りはすぐに消えたらしい。 (もっとも当時は進駐軍に日本人は苦情を言えなかったらしい) その後も週に一度くらいの割合で朝になると乾物はお菓子に変わって その量も子供たちが1日で食べ切らない量に増えていった。 やがて祖母は早朝に通る米軍のジープを待ち伏せして、言葉は通じないが 礼を言い、ジープ一行の米兵とその中の指揮官とは顔見知りになった。 特に指揮官は度々、家を訪問してお菓子を置いてくれたらしい。 会話は出来ないが知り合いという奇妙な関係が続きながらも 朝の乾物と菓子の暗黙の交換も続いた。 冬が近づいたが日常の生活物資のために祖母は着物、衣類を売って しまい薄着で過ごすある日、その米軍指揮官が自宅を訪れて 菓子を置いて帰る時に、今まではしなかった子供たちに一人ずつ握手をしたので 祖母は「変だな?」と思った。 続きを読む