306: 兵八 01/11/26 19:57 「英霊の絶叫――玉砕島アンガウル」より―― 翌朝、それまでなかなか元気だった松島上等兵が苦しみを訴え始めた。 負傷して三日目である。声の出せない彼は傷口を指差して、「傷の箇所を見てください」 とでも言うように身悶えするのである。 目を近づけて見ると、包帯は真っ赤に濡れていて今までとは違った症状を呈している。 じっと観察すると、息を吐くときはその血のしぶきが吹き出し、息を吸うとさあっと引いてしまう。 耳をすますと、ジブ、ジブ、シューシューという音があからさまに聞こえてくるのであった。 呼吸のたびに傷口から空気が漏れているような感じである。間違いなく、松島にとっては 最後のときがやって来たのだ。私は彼が哀れでならなかった。何か意中を聞いてやりたい気分に駆られた。 「何か言いたいことはないか?」 と私は彼に言った。聞いたとしても、私も遠からず死ぬ身である。遺族に伝言することなどは不可能であろう。 しかし、彼は補充兵で故国には妻もあれば子もある。言い残したいことは多い筈であった。 ・・・・・・彼は声も出せない重傷ではないか、どんな方法でその言わんとするところを聞き出せばよいのか。 紙も鉛筆も無い洞窟の中で、私は咄嗟に彼の枕元なるべく近くに身を寄せて、私の掌を彼の正面に向けた。 (私のとった行動の意味が彼に判るだろうか?) しかしそれは杞憂というものであった。松島は動かない手を微かに震わせている。既に硬直気味の 彼の手は、もう自分の意志ではどうにもならないのである。私は急いで彼の右手に触れて、人差し指で 字が書けるような拳にしてやった。彼の胸部からは尚一層、ジブ、ジブ、シューシューという 不気味な音が激しく高くなっている。彼は私の掌の上で、ゆっくりと人差し指を動かし始めた。 片仮名一文字を書くのに三十秒から一分かかるような有様である。私も、一生懸命その書き文字を 判読せねばならなかった。彼は髪と髭の伸びた顔を苦悶に引きつらせながら、それでも 気力を振り絞って書いた。 続きを読む