1: 2017/06/11(日) 21:07:00.70 ID:CAP_USER 「父の謝罪碑を撤去します」 「韓国ではソウルだけでなく、釜山の日本総領事館前にまで慰安婦像が建てられ、さすが の日本政府も駐韓大使を一時帰国させました。日韓関係はこじれるばかりです。 『最終的かつ不可逆的』な解決を確認した平成二七(二〇一五)年末の日韓合意は、いったいどうなってしまったのでしょうか。 昨年(平成二八年)春に大高さんの取材を通じて私は『慰安婦像をクレーン車で撤去したい』と本音を申し上げましたが、事態は像の撤去どころか悪化しているように感じます。 父が発信し続けた虚偽によって日韓両国民が不必要な対立をすることも、それが史実として世界に喧伝され続けることも、これ以上、私は耐えられません。 吉田家は私の代で終わりますが、日本の皆様、そしてその子孫は後に遺されます。いったい私は吉田家最後の人間としてどうやって罪を償えばいいのでしょうか。今日に至るまでそのことをずっと考え続け、せめてもの罪滅ぼしに決断したことがあります」 電話の相手は吉田清治氏の長男。平成二九年一月の話である。 平成二八年に私は長男への取材を行い、父・吉田清治氏の実像を雑誌に発表した(『新潮』平成二八年九月号)。その際、確かに長男は「慰安婦像をクレーン車で撤去したい」と語っていたが、その願いとは逆に、慰安婦問題が再燃し、日韓関係がこじれているのはご存じの通りである。 長男も言うように日本は駐韓大使を帰任させたが、二〇一七(平成二九)年三月には、 日韓合意を締結した大統領である朴槿恵氏が、弾劾によって失職、その後、逮捕された。同年五月一〇日、文在寅氏が韓国の第一九代大統領に就任したが、彼は日韓合意の見直しに言及している。 長男は、続けて言った。 「父が韓国に建てた謝罪碑を撤去しようと思います」 「撤去」 思わず聞き返したが、彼は静かにこう続けた。 「慰安婦像は彫像の権利問題もあり、一民間人の私が撤去することは事実上、不可能です。しかし、父が私費を投じて建てた謝罪碑であれば、遺族の権限で撤去することが可能なはずです」 なるほど、慰安婦像をクレーン車で撤去するのは無理としても、あの「謝罪碑」であれば……。 長男の言う「謝罪碑」とは、昭和五八年一二月、吉田清治氏が韓国忠清南道天安市「望郷の丘」に建立したものだ。清治氏は、その除幕式に出席し、私費で建てたとされるその「謝罪碑」の前で土下座した。 http://www.sankei.com/world/news/170611/wor1706110001-n1.html >>2につづく 2: 2017/06/11(日) 21:07:16.13 ID:CAP_USER >>1 石碑は朽ち果てることがない 平成二九年一月、長男から「謝罪碑」撤去の決意を聞いた私は、代理人となった奥茂治氏に連絡をとった。奥氏は私にこう言った。 「長男はおとなしそうに見えますが、芯は強い男です。今回の決断は本気ですね。さっそく現地の視察に行ってきます。清治氏が建てた謝罪碑の状態を見てみなければ、何も前には進みませんから」 その後、しばらくして奥氏は現地確認が完了したと連絡をくれた。 「撤去は容易ではありません。謝罪碑は横幅一二〇センチくらいの大きなもので、日本によくある碑のように地面に対して垂直に建てられているのではなく、コンクリートの地面にぺったりと埋め込まれていました」 なるほど確かに「謝罪碑」は、慰安婦像のように立っているものではない。 奥氏は言う。 「あれを撤去するとなると相当な工事費用が必要です。長男が前に言っていたクレーン車での慰安婦像撤去のほうがよほど作業的には簡単ですよ」 ではどうするのか。 「早速、長男に現地の状況を説明し、二人で様々な案を出し合ったのですが、最終的な結論としては謝罪碑の文言を書き換えるしかないということで落ち着きました」 あの有名な清治氏による”謝罪の言葉”を”書き換える”というわけだ。長男はこう言った。 「父が建てた謝罪碑は、日本のお墓のように小さなものだと私は思い込んでいたのですが、違ったんですね。とても撤去できるものではない。 撤去できないなら仕方がない。朝日新聞のお説に従って、ダイナマイトで破壊すればよかったんですが……。それでは過激派になってしまうので、つまり、碑を書き換えるしかないのです」 つまり長男は、こう言いたいのだろう。朝日は清治氏の証言を「虚偽」とした。新聞は、その証言を報じた記事を「取り消し」すればいいだけだった。しかし、その「虚偽」が石碑に彫られてしまっては「取り消し」は不可能だ。だからこそ撤去するしかないのだが、その撤去が難しいとなれば、本来なら爆破するしかないというわけだろう。 もちろん冗談ではあるが、「ダイナマイトで破壊」という言葉に私は少し驚いた。長男は非常に穏やかな苦労人だからだ。 たとえば東日本大震災の際には、「日本人なら当然」とボランティアに何度もはせ参じた”普通の感覚”を持つ男性だ。 後述するが、長男は父と母、病気の弟の生活を背負って働き、自分の時間がまったくない人生だった。 その長男が静かに語った決意には、穏やかな中にも信念がうかがえた。 「謝罪碑」の文言の書き換えについて、長男はさらに次のように語った。 「朝日新聞が調査をし、間違いだったと発表したわけですから、それに沿って間違いは正さなければなりません。朝日新聞社は謝罪碑の間違いを正さないでしょうから、正すことができるのは私しかいない。長男しかいません」 その通りだと思う。 本来なら、国連や海外メディアに対し、自らが報じた吉田証言が誤報だったことを伝えて回るべきだろうが、朝日がそれを行った気配はない。自らの報じた記事の後始末もできない、あるいはしないのに、朝日がお墨付きを与えた「謝罪碑」の間違いを正すはずはない。 「私が心配しているのは、(謝罪碑がこのまま残って)将来、政治的な問題になることです。その芽を摘み取ってしまいたい。石碑だと朽ち果てることがありませんからね。 一介のビジネスマンから見た話でしかありませんが、いまの韓国は朴槿恵前大統領をあれだけヒステリックに、まだ攻撃をしようとしているわけですよね。こんなことを言う立場ではないですけど、尋常じゃないですよ。あの熱狂的な韓国人の中で謝罪碑が政治問題化したらもう消せなくなります。ですから、誤った歴史が残らないようにしたいのです」 長男は朝日新聞よりも、はるかに誠実だと私は思う。 ※この記事は、「吉田清治」長男による韓国・天安市の「謝罪碑」撤去をルポした『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』(大高未貴著、産経新聞出版刊)のプロローグと第1章「終わらせる」から抜粋しました。 続きを読む