1:名無し:2016/09/03(土) 09:55:21.96 ID:XPOf/fbA0.net◇「支援を受けたいなら貧乏人らしくしろ」は傲慢だ 今回の貧困バッシングでは、女子生徒の1000円ランチがたたかれました。 「貧困であることをアピールし、支援を求める高校生がランチに1000円もかけるとは何事か」という偏狭な批判です。 貧困なのだから映画を見てはいけない、アニメグッズをそろえてはいけない、と求める批判者は、支援されるべき貧困を「絶対的貧困」と考えています。 そして、「貧しい者は貧しくしていろ」という懲罰的態度を無自覚に相手にぶつけています。 「貧乏人は貧乏人らしく」という目線は、貧者を「劣った者」と見なし、隔離した16世紀英国の貧者隔離思想に近いものです。 昔の英国社会では貧困は罪でした。本人が怠惰で、なまけていて、努力する意思もないから貧しくなったのだと見なされました。貧困の「個人原因説」です。 貧困者はムチで打ってでも働かせるべきだと考えられ、懲役にも近い形の収容所に送り込まれていたのです。 日本の憲法第25条は、相対的貧困の考え方を先取りする形で、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたっています。 にもかかわらず、日本ではいまだに貧困バッシングが続いています。2012年の生活保護バッシングも同じ構図です。 誰もが何かのきっかけで、ある日貧困に陥るかもしれません。 そのとき貧困バッシングは自分に向かってくるかもしれないのです。 2:名無し:2016/09/03(土) 09:55:35.85 ID:XPOf/fbA0.net◇その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか 「貧困」の言葉から何を想像するかは人それぞれですが、多くの人は、貧困とはものを食べられず、服も買えず、住むところにも困っているという状態をイメージするでしょう。 このように、肉体・生命維持で精いっぱいの極限状況を「絶対的貧困」と呼びます。 発展途上国で見られるタイプの貧困で、国連は、低所得、栄養不良、健康不良、教育の欠如など、とうてい人間らしく生きられない状態と定義しています。 1960年代になって、英国の社会学者ピーター・タウンゼントが「相対的剥奪」(Relative Deprivation)という概念を提唱しました。 「最低限のものを食べられて、着る服があれば貧しくないのか、人間的な生活と言えるのか」と問題提起をしたのです。これが「相対的貧困」という概念です。 タウンゼントはいくつかの「剥奪指標」を示しました。 ちゃんと食事をしているか、外食をしているか、友人関係を維持しているか、習い事や教育にお金をかけているかといった指標です。 冷蔵庫を持っているか、ホームパーティーを開いているか、という項目もありました。 国によって違いますが、通常の人が享受しているこれらの指標がもし剥奪され、 その社会の人間が考える「普通の暮らし」ができていなければ、その人は「相対的に貧困である」と考えられます。 3:名無し:2016/09/03(土) 09:55:47.79 ID:XPOf/fbA0.nethttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160903-00000016-mai-soci 続きを読む