1: 2017/05/19(金) 00:42:46.20 ID:CAP_USER 韓国で、慰安婦問題同様に広がりを見せつつある強制連行問題。 しかし、その実態は、朝鮮から日本への密航の歴史だった。 日中戦争に突入し、1939年7月に施行された『国民徴用令』は、朝鮮人のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであった。 しかし、朝鮮への適用はできる限り差し控えられ、1944年9月にようやく、朝鮮から内地へ送り出される労務員について実施されている。 いわゆる朝鮮人徴用労務員が日本へ導入されたのは、1944年9月から1945年3月までの短期間だ。 これは1945年3月以後、アメリカ軍の攻勢により下関―釜山間の通常運航が杜絶したため、実施が事実上困難となったためだ。 終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引き揚げたが、その帰還状況を段階的に見ると次の通りだ。 1945年8月から1946年3月までのあいだに、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によって、約90万人、個別的引き揚げで約50万人の合計約140万人が朝鮮へ引き揚げた。 引き揚げに当たっては、復員軍人、軍属および動員労務員などは特に優先的便宜が与えられている。 日本政府は、連合国最高司令官の指令に基づき、1946年3月には残留朝鮮人全員約65万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約50万人ということになったが、実際の引き揚げ者はその約16%、約8万人にすぎず、残りは自ら日本に残る道を選んだ。 1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月、連合国最高司令官の指令により、北朝鮮引き揚げ計画が立てられ、約1万人が申し込んだが、実際に北朝鮮へ帰還した人は350人にすぎなかった。 こうして韓国や北朝鮮へ帰国せず、自からの意思で日本に残った人の大部分は、早くから来日して生活基盤を築いていた人々だ。 つまり成功者である。戦時中に渡来した労務員や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残ったものは極めて少数派だった。 ちなみに終戦後の1947年に密航船で入国した『ソフトバンク』孫正義氏の祖父や父の孫一族や、パチンコ最大手『マルハン』の韓昌祐会長は、「韓国にいても稼げないので密航した」と2005年のテレビ番組で発言しているし、作家のキム・ギルホ氏は「1973年、食べていくために日本行きの密航船に乗った」と証言している。 1970年代に入ってキム氏のような才能のある人さえ「食えなかった」のは“日帝支配”の責任というのだろうか? https://myjitsu.jp/archives/21967 2: 2017/05/19(金) 00:51:38.76 ID:Y+BMWM5V 在日の引き上げ問題って何年かに1回両政府が話し合う協議会があるんだよ でも近年は南朝鮮が協議の席につかないで拒否して話し合いが出来ない状態なんだよ 政治家もマスメディアも在日批判活動をしてる人さえも何故か触れないよね 何でねぇ何でなの? 3: 2017/05/19(金) 00:53:15.85 ID:gGDLWhOj つまりただの犯罪者だから強制送還しなくちゃいけないね 4: 2017/05/19(金) 00:56:19.22 ID:reuo8Evt 第三国人って言われてたかな 不法占拠や戦後で疲弊した日本人を攻撃し続けた。 戦後を生きた老人は朝鮮人が大嫌いでへどが出るほど憎らしいみたい。 続きを読む