転載元 : http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1492953942/ 1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/04/23(日) 22:25:42.60 ID:M/h/fDsR0 俺が敬愛する道場長曰く、空手の型とは体に染み込ませるもの、なんだとか。 型は練習した時間が物を言う。 どれだけ身体能力が高くとも、考えてから拳を出すのと、体に染みついたものとでは、やはりキレが違う。 俺は型のそんなところが好きで、道場での稽古も、家での自主練習も型ばかり繰り返していた。 一方、俺は組み手が滅法苦手だった。 個人で完結しないそれは、対戦相手との腹の探り合いに始まり、繰り出された突きや蹴りへの咄嗟の対応など、たった数分間のうちにたくさんのことを考えなければいけない。 もちろん、体を動かしながら。 これは俺の性には合っていないな、と子供ながらに早々に見切りをつけたことを今でも覚えている。 しかし、道場での稽古に参加する以上は一人だけ組手をサボるわけにもいかず、いつも組手の時間は憂鬱だった。 右拳を出すか、左拳を出すか、上段か中段か下段か。 はたまた蹴りか。 蹴りの場合は、上段? 中段? 下段? そんな具合で、脳が焼き切れんばかりにぐるぐると頭を回しているうちに相手の突きや蹴りが飛来して、その度に道場長の「一本!」という大きな声を聞かされるのだった。 2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/04/23(日) 22:26:33.36 ID:M/h/fDsR0 小学二年生の時、道場に一人の女の子が入門した。 女の子の名前は、中野有香。 歳は俺のひとつ上。 まぁ、そこそこ大きな道場だから、女の子が入ってくることは別に珍しいことでもなんでもないが、彼女はちょっと特別だった。 なぜかと言うと、中野さんは型は教えられたそばからすぐ覚えてしまうし、組手も男子顔負けだったのだ。 ……俺がその女の子に、幾度となく負かされたことは言うまでもない。 3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/04/23(日) 22:27:08.22 ID:M/h/fDsR0 それでも、俺は型だけは優秀だったから、型の稽古の間はヒーローだった。 みんなの前で手本として、型を披露する。 拳を突き出して、大きな声で気合を入れ、残心。 「押忍!!」 ぱちぱちぱちぱち、と拍手に包まれるこの瞬間が俺は大好きだった。 道場でも、大会でも、俺が型を披露している間は、全ての視線を独り占めできる。 たくさんの人が、俺の日々積み重ねたものを見て、感嘆の声を上げる。 これが、これこそが俺が型が好きな理由だ。 4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/04/23(日) 22:28:27.33 ID:M/h/fDsR0 いつも型の稽古に入る前は、全体の手本として俺がみんなの前で披露するのが常だった。 道場長が俺の名前を呼ぶ。 「押忍!!」と返事をして、「始め」の合図を待つ。 けれども、道場長の口から出たのは「始め」の三文字ではなく、「中野」の三文字だった。 状況がよくわからず、呆然としていると、中野さんが少し控えめに「押忍っ!」と言いながら出てきて、俺の横で構えた。 あれ。 今日は俺だけじゃないのかな。 そんなことを考えていたところやっと「始め」の合図がかかる。 動きに合わせて、道着が空を切る。 ばっ、ばっ、ばっ、とぴったり重なった二つの道着の音が響く。 そして、残心。 拍手と「おおー」という声に包まれる。 でも、きっとこれは俺に向けたものではない。 こうして俺はお山の大将であることさえ、できなくなってしまったのだった。 続きを読む