109: おさかなくわえた名無しさん 2009/06/30(火) 02:39:22 ID:ix4Y6Hfm ロシニエールの村に到着するやいなや、ある建物が目に入る。村を訪れる人々は幻を見ていると錯覚する。 大きな家が村の中心を占めている。その家は、ある年代記には「亀の甲羅のついた城館」と表現されている。 この「グラン・シャレー」は伝統的なスイスの建築様式の至宝である。それは、この地域の職人によって、 4年間もの歳月が費やされ、1754年に完成した。 当時、弁護士であり、実業家であったジャン・ダヴィッド・エンショズは1750年に巨大な建築物を建てることを思いついた。 本来、彼はこの建物をこの地域のチーズ倉庫にし、チーズを商品化してビジネスをするために、この建築を計画した。 さむらい伯爵夫人 この「グラン・シャレー」は、今ではバルテュスの未亡人であり、伯爵夫人である、節子・クロソフスカ・ド・ローラ氏が所有する。 この、ほかの時代から突如現れたような雅 ( みやび ) な女性は、写真撮影のために来た訪問客を迎え入れた。日本の着物が 似合う伯爵夫人は、2階にある応接間へ訪問客を案内した。そして、応接間の席に着くと、思い出に浸り、彼女の邸宅の歴史を語った。 芸術家であり、ユネスコ大使も務める節子婦人は、日本の由緒ある家に生まれ、武士の血筋を持つ家庭の温かい庇護(ひご) のもとで、東京で生まれ育った。 1962年、彼女はバルテュスに出逢った。当時のド・ゴール政権下の文化大臣アンドレー・マルローが美術展のために バルテュスの来日を計画し、その際に愛が芽生えた。バルテュスは、美しく若い節子婦人に一目惚れし、その後間もなく 結婚した。そして、1977年から2人はロシニエールにある「グラン・シャレー」に居を移した。 この建築物の規模にはただ圧倒される。南側の正面の大きさは幅が27メートルで高さは19.5メートルもあり、その上には 950平方メートルもの屋根が覆いかぶさる。このシャレーの建築には、700立方メートルのモミの木が使用された。 ごく「一般的な」家には30立方メートルから50立方メートル、もしくは15本から20本のモミの木で充分だ。 続きを読む